お知らせ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お知らせ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ヘッダ写真はアルプス穂高岳。 見本誌の請求や記事内容への問い合わせなどは「問い合わせフォーム」をご利用ください。 Twitterへのリンクを張りました。右側スリットにあります。

2022年12月23日金曜日

青穂46号よりお知らせなど

 





青穂46号よりお知らせ・新刊案内を紹介します。

①せきしろ著「放哉の本を読まずに孤独」春陽堂書店
②同人大山まるさんの俳句界九月号掲載記事
③同人新刊案内
 加藤邪呑句集「地おどろ海おどろ」
 久坂夕爾個人詩誌「午前9号」
④近藤健「心情(うらなさけ)」

ムンクの「叫び」は私も好きな絵画です。いつだったか、ムンク展には行きました。
絵画はあまり詳しくはありませんが、
なぜか、村山槐多の「尿する裸僧」や鴨居玲の「道化師」とともに思い出す絵なんですよね。


(文:久坂夕爾)

2022年12月14日水曜日

孤独の俳句 山頭火と放哉名句110選

 

小学館より

金子兜太・又吉直樹著

「孤独の俳句 山頭火と放哉 名句110選」が発売されているようです。

一般向けで、入門にはよさそうな著書です。


孤独の俳句


(文:久坂夕爾)



2022年11月27日日曜日

かえいチャンネル

 


ならドットFMにて放送している「俳句で漫歩」。

自由律の俳人を紹介する生放送のコーナーが、1か月前くらいからyoutubeにて動画化されています。

最新の動画は ここ をクリック

そのほかの動画は、youtubeで「俳句で漫歩」「かえいチャンネル」「自由律俳句」などで検索してみださい


青穂の小山貴子代表が自由律俳人を紹介するコーナーでは、以下の俳人を取り上げています。

入澤春光 木犀薫る日にて牛産む

下山逸蒼 一つの灯に跟(ひ)きながながと貨車の曳かるゝ暗き野

芦田鳳車 人を焼くとていのちある人あつまれり



(文:久坂夕爾)


2022年11月12日土曜日

青穂46号が発行されました


青穂46号が発行されました。

画像は順に、表紙(住宅顕信)、色紙(波多野翠江)、青穂抄(ゆきいちご選)。

目次より本号の内容
・同人・準同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(吉多紀彦選)
・エッセイ・評論
 記憶に残る俳人・俳句7         ちばつゆこ
 記憶に残る俳人・俳句8         大軒妙子
 加藤邪呑第二句集「地おどろ海おどろ」鑑賞
                     伊藤静雄
 昼下がりの映画館            伊藤風々
 新幹線のある日常            福田和宏
 「きまぐれ写俳日記42」        きむらけんじ
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 同人新刊案内、お知らせ、同人情報、編集後記
 第6回尾崎放哉賞募集案内


尾崎放哉賞、締切迫っていますので、お早めにどうぞ。


(文:久坂夕爾)




2022年10月30日日曜日

第6回尾崎放哉賞 締切(11月30日)まであと1か月を切りました。メールでの応募もできます。




第6回尾崎放哉賞の締切は11月30日。

締切がせまってきました。

http://www.hosai-seiho.net/

クリックすると、尾崎放哉賞のページにジャンプしますので、

応募要項など、確認してみてください。

メールでの投句もできます


是非、ご応募ください。


(文:久坂夕爾)




2022年10月10日月曜日

青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(4)

またまた、ヨルシカの続きです。

 

前回、井伏鱒二や正岡子規などに言及したヨルシカのインタビュー記事を引用しましたが、奇特な方がいるもので、ヨルシカ関連で作家を知った若者向けに、原典を紹介するというまとめ記事のサイトがありました。

何と素晴らしいことでしょう。


入口がバンドの楽曲だけど、「何だろう」と思って、インスパイアした作家の原典に行き着く。そしてそのうちの何人かは、その作家の原典を手にすると思います。そしてそしてそのうちのまた何人かは、放哉や山頭火の著作を手にするはずです。新しい時代の「辿り着き方」だと思います。そしてそのまた何人かが実際、句を作ってくれると、とてもとてもありがたいです。

もし、もしもですが、「ヨルシカ 尾崎放哉」でここ(青穂)に辿り着いた方、必ずご一報ください。

奥深い自由律俳句の世界へとご案内いたします。


放哉研究の第一人者であるうち(青穂)の代表も「若い人々に放哉が支持されて歌詞に盛り込まれるなんて、放哉本人もびっくりだと思います」と言っていました。


以下引用

音楽をきっかけに、文学に興味を持った人へ

【ヨルシカ眠れない】


(文:黒崎渓水)



2022年9月23日金曜日

青穂45号よりお知らせなど

 



青穂45号よりお知らせなど

(上)同人新刊案内
   ・「ぎんなん第五句集」/ぎんなん編集部
   ・「年間句集二〇二二 自由律俳句きやらぼく」/きやらぼくの会
(下)第5回山頭火ふるさと館
   自由律俳句大会のおしらせ


(文:久坂夕爾)

2022年9月11日日曜日

青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(3)

 ヨルシカと尾崎放哉の句の続きです。

ヨルシカ(n-buna)はインタビューで次のように奥深いことも言ってます。

音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作するという現代的な面と、しかし一方でその歌詞の基本潮流はバリバリの王道近現代文学であるという二物衝突が面白いです。

放哉に加え、山頭火もリスペクトしているとのことです。

 

(以下インタビュー記事から引用)

   先ほどオスカー・ワイルドに大きな影響を受けたという話をしていましたが、それ以外にも、n-bunaさんが影響を受けた、自分の創作のルーツになっていると感じる人はどんな人があげられますか?

n-buna それはもう、沢山いますね。音楽的なところで言えば、僕はブルースとか、ギターヒーローのようなギタリストが好きなんです。ジョニー・ウィンター、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ラリー・カールトンのような人達が好きだし、影響を受けていると思います。映画だったら、クリストファー・ノーランやデビット・フィンチャー、あとはヒッチコックが好きで影響を受けています。あと、僕は近代歌人が好きなんです。名前を挙げるならば、正岡子規、与謝蕪村、種田山頭火の俳句や短歌にはすごく影響を受けています。作品の中でもいろんな箇所でオマージュしていますね。


―作品の中でオマージュしている、というと?

n-buna 「雨とカプチーノ」の詩には、正岡子規の「水草の 花の白さよ 宵の雨」という歌や、井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という言葉へのオマージュが入っています。あとは、物語の骨格にも井伏鱒二の「山椒魚」からの影響があります。「山椒魚」は簡単に言えば、どんどん自分の体が肥大していってそれによって岩屋から出られなくなった山椒魚が、ある日迷い込んできた蛙を閉じ込めてしまう話です。『エルマ』では、エルマ自身の 中で虚無感や焦燥感がどんどん肥大していく。エイミーの書く詩や文章、曲調やメロディー から、一人称までも真似して、エイミーになろうとする。ここでいう山椒魚はエルマです。岩屋は音楽であり、エイミーの残した作品であり、エルマの生き方そのものです。『山椒魚』を僕なりの解釈で噛み砕いて隠喩にしたものが、今作の骨組みであり土台です。

 

―初回限定盤【エルマが書いた日記帳仕様】の「日記帳」の中には松尾芭蕉と与謝蕪村の名前も出てきます。この作品には二人の関係もなぞらえられている印象もありますが。

n-buna そうですね。僕は与謝蕪村と松尾芭蕉の関係というものが好きで。与謝蕪村は、松尾芭蕉が残した作品に影響を受けて、芭蕉が辿った道をなぞるように日本中を旅している。それは本当に美しい芸術の模倣の仕方だと思うんです。それこそ、オスカー・ワイルドの言葉が、そのままこの頃の日本でも行われているんですよ。ヨルシカでエイミーとエルマの物語を作るにあたっても、そういう構造を描きたかったというのがあります。『山椒魚』も与謝蕪村の話もそうですけど、結局、僕はそのオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉をヨルシカで表現したかった、そこに尽きるんですよね。

 

―「雨晴るる」についてはどうでしょうか?

n-buna 「雨晴るる」は「六月は雨上がりの街を描く」の対になっています。「六月は雨上がりの街を描く」は雨上がりの曲じゃなくて、雨上がりの街を描きたいということをエイミーが書いている曲。そして、実際に、雨が上がって晴れた六月の街の曲をエルマが書いた曲が「雨晴るる」です。これは山頭火の句から題を取っています。山頭火は「山は街は梅雨 晴るる海のささ濁り」という歌を旅の途中で詠んでいるんですが、そこからとって「雨晴るる」というタイトルにしました。そのことによって山頭火へのリスペクトを示しています。

 

(続く)


インタビュー記事は以下のサイトより

ヨルシカ 2nd Full Album「エルマ」オフィシャルインタビュー


(文:黒崎渓水)



2022年8月19日金曜日

青穂45号が発行されました

 


青穂45号が発行されました。
画像は、表紙(住宅顕信画)、青穂抄(三好利幸選)

目次より本号の内容
・第9回青穂大会報告
・同人・準同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(平山礼子選)
・エッセイ・評論
 記憶に残る俳人・俳句7         平岡久美子
 私と自由律俳句6            久坂夕爾
 マキノ君のこと             久坂夕爾
 「きまぐれ写俳日記41」        きむらけんじ
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 同人新刊案内、お知らせ、同人情報、編集後記
 第6回尾崎放哉賞募集案内

(文:久坂夕爾)


2022年8月14日日曜日

青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(2)

 ヨルシカのプロフィール

「ウミユリ海底譚」「メリュー」などの人気曲で知られるボカロP(ボーカロイド、UTAUCeVIO(チェビオ)などの音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作して動画投稿サイトへ投稿する音楽家)のn-bunaが、女性シンガーのsuisをボーカリストに迎えて2017年に結成したバンド。n-bunaの持ち味である心象的で文学的な歌詞とギターサウンド、透明感のあるsuisの歌声を特徴とする。20174月に初の楽曲「靴の花火」のミュージックビデオを投稿。6月に1stミニアルバム「夏草が邪魔をする」をリリースした。20194月に1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」、8月に2ndフルアルバム「エルマ」を発表し、10月よりライブツアー「ヨルシカ Live Tour 2019『月光』」を開催。20207月に3rdフルアルバム「盗作」をリリースした。

 

昭和生まれのアナログ人間には理解不能な単語が並びますが、とにかく尾崎放哉を世に広めてくれてありがとうございます、とひたすら言いたいです。

以下、楽曲「思想犯」歌詞と尾崎放哉の原句

 

<歌詞(抜粋)>

他人に優しいあんたにこの心がわかるものか

人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた

朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった

その為に包丁を研いでる

<原句>

木槿(ムクゲ)の葉のかげで包丁といでいる

<青穂ブログ管理人コメント>

この句は『層雲雑吟』と題された未発表句稿集の6番目に当たる句稿からの引用。あまり有名な句ではありません。

放哉の句意は写生の色彩が強く、歌詞のような犯罪的な意味ではないでしょう。

『思想犯』の歌詞は彼の俳句をモチーフにはしていますが、それを昇華させ、再構築しているように感じます。

それにしてもレアな句を取り上げたなあ、と思います。

 

<歌詞(抜粋)>

言葉の雨に打たれ

秋惜しむまま冬に落ちる

春の山のうしろからまた一つ煙が立つ

夏風が頬を滑る

<原句>

春の山のうしろから烟が出だした

<青穂ブログ管理人コメント>

一方こちらは有名な句。

死後「層雲」に発表された。『大空』では小豆島時代最後の句。鳥取の興禅寺に句碑あり。

再起不能の病床にあって、のどかに立ちのぼり始めた白い煙りに、春が来たことへの安らかな喜びを感じている。

歌詞では放哉の人生をかけた渾身の最終句という思い入れは感じさせず、四季に拡大して使用されています。

 

<歌詞(抜粋)>

君の言葉が呑みたい

入れ物もない両手で受けて

いつしか喉が潤うその時を待ちながら

鳥の歌に茜 この孤独よ詩に変われ

さよなら 君に茜 僕は今 夜を待つ

また明日 口が滑る

<原句>

入れものが無い両手で受ける

<青穂ブログ管理人コメント>

南郷庵の句碑の句。庵での独居生活の極限のような吐露。歌詞では言葉を両手で掬う場面として使用されています。

 

なおインタビューでは、以下のように述べられています。

――この曲(「思想犯」)はどういうモチーフから作ったんでしょうか。

n-buna 「思想犯」というテーマ自体は、ジョージ・オーウェルの『1984』という小説がもとになっています。言葉狩りの時代を描いたディストピア小説で。もう一つ、この曲の歌詞には尾崎放哉の俳句からとっている箇所があって。この曲自体が尾崎放哉の俳句と晩年をオマージュしている曲なんですね。このオマージュというのは盗用とも言えると思うんですけれど。「春の山のうしろから煙が出だした」とか「入れものがない両手で受ける」とか、尾崎放哉の晩年の作品や辞世の句を直接的にオマージュしている。そういう曲です。

 

(続く)


(文:黒崎渓水)


2022年7月24日日曜日

青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(1)

 今回はもう一人の裏方が担当します。

5月の尾崎放哉賞の授賞式に出席したのですが、協賛をいただいている春陽堂書店さまのご挨拶の中で「最近、放哉はヨルシカなどでも盛り上がっており・・・」というコメントがありました。当方「???」

式の運営もあり、その場は質問することもなく過ぎたのですが、懇親会で高校生の部の入賞者と隣席となりました。「どうして自由律俳句を作り始めたの?やはり山頭火?」というありふれた問いを投げかけたところ、「ヨルシカがきっかけです」ときっぱり凛々しく答えてくれました。当方「???」

「オジサンさあ、何語を言ってるのかよくわからないんだけど、それ何なのか教えてくれる?」と哀願したところ、彼はニッコリとほほ笑んで、おもむろにスマホを取り出し、YouTubeで示してくれました。

知ってる方は知ってるのだと思いますが、人気のあるバンドだそうです。一部の楽曲は尾崎放哉の句のオマージュとなっているとのこと。


ヨルシカ『嘘月』より。

「夏が去った街は静か 僕はやっと部屋に戻って 夜になった こんな良い月を一人で見てる」

「歳を取った 一つ取った 何も無い部屋で春になった 僕は愛を、底が抜けた柄杓で呑んでる」

ヨルシカ「usotsuki」


放哉の句はそのまま引用されているわけではありません。

とても練り上げられた歌詞だと思います。次回はヨルシカの「思想犯」を引用します。


(文:黒崎渓水)


2022年7月10日日曜日

記憶に残る俳人・俳句(1)~(6)

青穂本誌では、約1年前から「記憶に残る俳人・俳句」という持ち回り記事が掲載されています。

最新号の(6)まで、どういう俳人・俳句が掲載されているか、ちょっと抜粋してみます。


・近木圭之介(1912~2009)

 いっしょにあるけばまがってゆくみち

 自画像 青い絵の具で蝶は塗りこめておく

 朝 卵が一個古典的に置かれていた


・井上泰好(1930~2015) ※第1次尾崎放哉賞主催者

 桜が咲いて地球がやさしい顔になる

 埋めて貰う墓地から港が見えて春の海

 何はなくとも春の風がある古里に住む


・吉田雅童(?~2007)

 石に雨ふる短律

 蛇とて月夜の木のてっぺん

 天からもろうて雨もり


・吉浦俊雄(1930~2014)

 夕闇青く草が蛍をはなつ

 おのおのおのれの脱いだ履物へ散会す

 こころ炎天へ耕してからっぽな土とす


・時実新子(1929~2007) ※川柳作家

 ブラックコオヒイ女がさめてゆく過程

 入っています入っていますこの世です

 ひぐらしが死ぬほど泣いたひとごろし


・高田弄山(1956~2013)

 ほたる仮縫いの夜をほどく

 笑っている人の顔で笑っている

 酔いしれてバラの上で風葬される


気になった作家がいましたら、ネットで検索してみてもいいかもしれません。

私も、俳句を始めたころは、よくネット検索して好みの作風の作家を探したり、好みの作家の作品を探して、ネットの国会図書館のページを探ったりしていました。

そして、このページが、そういう方の検索時にひっかかってくれると、うれしいですね。



(文:久坂夕爾)


訃報 河原枇杷男、安井浩司

訃報が続きますね。興味のない方には申し訳ないのですが、ご勘弁を。


俳句誌「鬣」によると、俳人河原枇杷男、安井浩司両氏がなくなったようです。河原氏は平成29年にすでに亡くなっていたが、事情により公表されていなかったもよう。安井氏については、逝去の日はわかりませんが、最近のようです。

両人は、私が俳句を書くにあたって個人的にとても重要な位置づけにある俳人ですので、先日の清水哲男氏の訃報とともに、心に刺さるものがあります。

以前目にした、安井浩司に関する記事があるサイトを載せておきます。総合文学ウェブ情報誌「文学金魚」。こういう、美術・演劇・文学など広範囲にわたる本格的な論評もあるサイトが登場すると、『メディア』としてのインターネットはもう無視できないところまで来ているのだな、と思いますね。

文学金魚

ご冥福をお祈りします。


(文:久坂夕爾)


2022年6月11日土曜日

第6回尾崎放哉賞募集始まっています!

 第6回尾崎放哉賞は募集が始まっています!

締め切りは11月30日。

尾崎放哉賞のページ ←ここをクリック


自信がないとか受賞作の作風が合わないとか、いろいろ考えこんでしまう若い人も大勢いるかもしれませんが、最低二句だけですので、まずは「発表するつもりで作品を書いて送る」癖をつけるために利用してもいいと思ってます。賞というのはそういうものでもある。(あくまでも私・久坂の個人的見解です。かつ個人的経験です。選者の方にとってはたいへん失礼な発言かもしれませんが。)

ご応募お待ちしております。


(文:久坂夕爾)

青穂44号のお知らせ記事

 




青穂44号より、お知らせ記事など掲載します。

上)山頭火コーナー
中)同人新刊コーナー
  ならどっとFMだより

きむらけんじさんのエッセイなども(最近載っていませんが、久次縮酔さんの釣りエッセイも)、面白いので載せたいのですが‥‥。


一番下の画像は、
「放哉」南郷庵友の会の尾崎放哉賞記事

(文:久坂夕爾)

2022年5月14日土曜日

青穂44号が発行されました




 


青穂44号が発行されました。
画像は、表紙(住宅顕信より井上敬雄宛葉書)、青穂抄(福田和宏選)、色紙(尾崎放哉)

目次より本号の内容
・第5回尾崎放哉賞発表
・新同人紹介
・同人・準同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(黒崎渓水選)
・エッセイ・評論
 記憶に残る俳人・俳句5         奥野立日十
 私と自由律俳句4            秋生ゆき
 鑑賞「花野抄 第十八集」        黒崎渓水
 「茉莉花 第二句集」鑑賞        奥野立日十
 松の会 第14句集「松」鑑賞      弓削酔魚
 「きまぐれ写俳日記40」        きむらけんじ
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 同人新刊案内、お知らせ、同人情報、編集後記
 第9回「青穂」大会(浜松)のご案内

(文:久坂夕爾)

2022年5月1日日曜日

同人の句より 素材の面白さ・認識の面白さ

感情やら意見やら、というものは、自分のなかから自然にたちあがってくるものではなく、それのきっかけ・芯になるようなものがかならずあると思っています。何を見たのか、何をどうみたのか、感じたのか。人間の感情や意見は結構似通っていますが(だから「共感」や「季語によるイメージの共振」が生まれるのですが)、これらは個性的です。

ということで、本誌前号から、ちょっと面白い素材、ちょっと面白い見方・感じ方(認識)があると思われるものを選んでみました。

作者はこの句を作る際、ことばの奥に何を見ていたんだろう、何を感じていたんだろう、と想像するのが面白い。句として成功しているかどうか、は目利きのかたの判断にゆだねるとして。卑近な素材から庶民感情を描く、散文的、という意味で川柳に近いものもあります。もっとも、現代は川柳・俳句の区別は結構あいまいで、区別の必要はないという意見もあるようです。


肉豆腐ワシントン広場には風花      伊藤清雄

筋トレしてきた昨日お父さんが死んだの  鈴木しのぶ

入り江は食い意地を張る         早舩煙雨

鳥籠の子らは闇のピエロの仕業です    おおひさ悦子

おてんとさまちかみちをしてずるい    田畑剛

止めたところから夢を再生する      黒崎渓水

音を殺して熟柿を啜った         𠮷田敷江

人嫌い烏瓜の宙ぶらりん         高木架京

かくれんぼ鬼ばかり増えていく秋の野   平岡久美子

バラ亭開店藤島恒夫のチンドン屋(※)  草場克彦

身のうちに烽火をあげる分身Z      奥野立日十

暗闇が乗車してくる無人駅        水上百合子

すきにしたらええやんか月夜の案山子   伊藤人美

基地の献立は既に侵略されていた     福田和宏

今朝もまず猫じゃらしの会釈       吉多紀彦

前へならえの前は極道になりました    きむらけんじ

象が足つっこんで萩あふれるバケツ    小山幸子

野薊は空と海との表面張力        加藤邪呑

曇り空どこまでもあんたのせい      小山貴子



※藤島恒夫 おそらくですが、正しくは藤島桓夫(たけお)だと思われます。演歌歌手。代表曲は「月の法善寺横丁」 wikipediaより参照。


「死んだの」「ずるい」「なりました」「あんたのせい」。せきしろ氏の自由律俳句でも感じることですが、口語の語尾のニュアンスを生かせるのは自由律俳句の親しみやすさでもあるでしょうね。


(文:久坂夕爾)

2022年4月17日日曜日

らじお・ラヂオ

自由律俳句のコーナー(「らじおと放哉と山頭火と」青穂・小山代表も出演)があった

TBSラジオ「伊集院光とらじおと」が3月で終了していたようですね。

TBSニュースtwitter記事

次の角を曲がったら話そう/小学館


昼の番組なので、仕事の関係で私は一度も聞く機会はなかったのですが、

先日たまたまこのニュースを知りました。

youtubeにも一部配信されているようです。

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もしかしたら、このブログで紹介したことがあったかもしれませんが、

小説家・町田康氏が山頭火を題材に書いていました。

春陽堂「Web小説」


町田康氏は、

youtubeで「パンク山頭火ラヂオ」なるものも発信しています。

町田康のパンク山頭火ラヂオ



町田康現代語訳「宇治拾遺物語」/日本文学全集08 河出書房新社

がとても面白いと聞いて以前買ったのですが、恥ずかしながらいまだに積読のまま。



(文:久坂夕爾)


2022年3月20日日曜日

訃報 清水哲男

 詩人であり俳人でもある清水哲男さんがお亡くなりになりました。私にとって、さまざまなものへの「入口」になってくれた方でした。

 著書を通じて、近代詩の抒情に慣れきっていた私に、現代詩の面白さに気づかせてくれた方でした。存命の詩人ではじめて好きになった方でもあり、また俳句への造詣も深く(俳句歴のほうが長かったように思います)、俳句の読み方を教えてくれた方でもあり、その「増殖する俳句歳時記」は俳句史に残るものでしょう。※増殖する俳句歳時記には、青穂同人のきむらけんじさんの句が一句掲載されています。他、自由律俳人では、尾崎放哉・種田山頭火・橋本無道・栗林一石路・松尾あつゆき・住宅顕信。

 直接お会いしたのは1度だけ。横浜詩人会での講演でいらしたときに、二言三言交わした程度です。小説・詩・短歌・俳句の総合投稿誌「抒情文芸」で選者をされていた際は、何度も私の詩を選んでいただきました。苦言を呈されたことも、素晴らしいとほめていただいたことも両方覚えています。私のホームページで、掲載詩集不明として詩を紹介したことに対してメールでお礼が来て、「いいかげんな男ですから」と書いてあったことも忘れられません。謙虚さからではなく、多分ご自身のことを本当にそう思っていたのでしょう。
 
 日常のなかで忘れがちな、けれど確かに自分のなかにある、ふとした瞬間の自意識のその苦さ。清水哲男という詩人を思い出すとき、よく考えるのはその苦さです。近代の抒情詩は自己陶酔的甘さに流されがちですが、その対極にある、けれど確かに平易な抒情を貫いている、と私は思っています。
 詩集は多数ありますが、私のお気に入りは、「スピーチ・バルーン」「雨の日の鳥」「東京」「夕陽に赤い帆」。句集に「匙洗う人」「打つや太鼓」。俳句誌「俳句界」の編集長でもあったようです。詩歌文学館賞、萩原朔太郎賞、三好達治賞、丸山薫賞。
浅黒い肌、痩身のジーンズ姿を思い浮かべます。ビールが好きで野球が好きで、詩のなかではときおりべらんめえ調になる。もうどこにもいないのですね。ショックです。

後退する。
センター・フライを追って、
少年チャーリー・ブラウンが。
ステンゲル時代の選手と同じかたちで。

これは見なれた光景である。

後退する。
背広姿の僕をみとめて、
九十歳の老婆・羽月野かめが。
七十歳のときと同じかたちで。

これも見なれた光景である。

スヌーピーを従えて、
チャーリーに死はない、
羽抜鶏を従えて、
老婆に死はない。
あまりに巨大な日溜りのなかで紙のように、
その影は、はじめから草の根に溶けているから。

そんな古里を訪ねて、
僕は、二十年ぶりに春の水に両手をついた。
水のなかの男よ。それも見慣れぬ……
君だけはいったい、
どこでなにをしていたのか。
どんなに君がひざまずいても、
生きようとする影が、草の高さを超えた以上、
チャーリーは言うだろう。
羽月野かめは言うだろう。
ちょっと、そこをどいてくれないか。
われわれの後退に、
折れ曲がった栞をはさみ込まれるのは、
迷惑だから、と。

「チャーリー・ブラウン」戦後名詩選Ⅱ/思潮社


詩集「東京」あとがきより
 ひとりの、ささやかな表現者として生き続けるということは、たえず自己の空虚に突き当たりつづけるということでもある。その空虚さのなかで、空虚そのものを対象化すべく努力するという作業にしがみつくことの意味を、空虚の側から説明させれば、なにがしかの好意的な解答も出てくるのであろう。
 人を詩にいざなうものは、おそらくはその種の解答を半ば本能的に求めている心根から発していると思われる。しかし、現在の自己が過去の自己からは連続的に到達できない極限点であるのだとすれば、決して詩にすることができないものこそが、実は自己の空虚そのものでなければならないはずなのであった。(後略)


さらば夏の光よ男匙あらう 句集「匙洗う人」/思潮社

(文:久坂夕爾)

2022年3月11日金曜日

文芸に関する記事2つ

インターネットで面白い記事を見つけたのであげておきます。

 

◆第65回岸田國士戯曲賞に寄せて 柳美里

https://genron-alpha.com/gb065_02/

他人の作品を選評するとはどういうことか、文学とは何の上になりたっているか、文芸ジャーナリズムとは何か。出版社・作家どちらの味方か、という表面的なことではなく、考えさせられることの多い文章です。

文学で年齢(経験年数)は関係ない。創作者も生活者であって、文学はその上に成り立っている。この2点を言及している前後は特に。


柳美里氏といえば、小説「JR上野駅公園口」が話題になりましたね。また、文中、高樹のぶ子氏の発言が引用されていました。たしか十代の頃、小説「光抱く友よ」を読んだことがあります。


◆デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)(無意識下の脳の活動)について

DEGITAL DETOX

https://digitaldetox.jp/column/dmn_sanjyo/


「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)

https://www.jstage.jst.go.jp/static/pages/JstageOverview/-char/ja


シュルレアリスムを思い起こしました。

シュルレアリスムとは、わけのわからない(シュールな)ものを描くということではなく「自動筆記」などに象徴されるように、無意識下での意識を掘り起こす芸術活動だったと記憶しています。

付記したJ-STAGEは、専門家の論文を読むことが出来るサイト。

インターネットが発達して、こういう専門知のデータベースが無料で閲覧できる。しかも、私のような素人でもgoogleで検索してすぐに表示される。


先日は別のデータベースで、日本における過去の識字率に関する論文を読みました。識字率を{①自分の名前を書けない}{②自分の名前を書ける}{③物語などを読んで理解できる}の3段階に分けて、江戸時代あたりからの公文書をもとに分析したもの。

昭和20年代でも①の方はいたことは知っていましたが、明治時代のある地方では③の方は約30%にすぎなかったようです。江戸時代の日本が、『多くの人民』が物語なども楽しむことが出来る『世界に冠たる文化国家』だった、というようなよくある言説はちょっと眉唾かもしれません。自分の所属する領域・団体をひいきしたがる普遍的心情が、いつのまにか事実を捻じ曲げるかもしれないという、これもありがちなことです。からだの感覚がもたらす「イメージ」と、あたま(こころ)が勝手に世間から引用した「イメージ」は分けないといけない、後者には(専門知による)裏付けが必要、ということだと思います。


(文:久坂夕爾)


2022年2月27日日曜日

第5回尾崎放哉賞発表

 第4回尾崎放哉賞が決定しました。


第5回尾崎放哉賞入賞作品



入賞句を一部紹介します

<一般の部>


◆尾崎放哉大賞

  蝉時雨浴びて秘密基地の入り口     埼玉県 大川 久美子

◆春陽堂賞

  選ばなかった道が交わる       京都府 伽 瑤

◆優秀賞

  二年会えなかった父の薄いまぶた   愛知県 木村 恵子

      レモンどこまでころがる冬陽の片隅  福岡県 重富 佐代子

  年ごとの色を重ね私の海が凪ぐ    福岡県 丹村 敦子

  レシートを栞にして読み終えた    岡山県 堀 将大

  旅の空何も決めず酔っている     神奈川県 野谷 真治

◆敢闘賞

  雪の中で目覚めたよな祖母のまつ毛  東京都 すずめ 園


<高校生の部>

◆最優秀賞

  ページをめくる音はしだいに雨と重なった 

         群馬県立伊勢崎興陽高等学校 細井 美涼

◆優秀賞

  教室には卒業しないままの思い出

         群馬県立伊勢崎興陽高等学校 峯崎 沙弥香

  クレヨンでかいた青空のうそ

         群馬県立伊勢崎興陽高等学校 松村 にぃな

  一人の教室から見る私だけの空

         三重県立久居高等学校 石井 菜々美

  今日の生き方、誰かのお古

         群馬県立伊勢崎興陽高等学校 鈴木 彩

  逃げ出したくて 真夜中の月に相談する

         東筑紫学園高等学校 岩下 空依果

  すれ違う君から春になる

         愛知県立旭丘高等学校 渡邉 美愛

  思いを投げ込む 切手の味が舌に残る

         静岡県立静岡高等学校 榑林 優成

  黒い海に落ちていく片羽の飛べない蝶

         群馬県立伊勢崎興陽高等学校 細川 華伽

  俺達の仮に生きて行ける秋風

         埼玉県立特別支援学校 坂戸ろう学園 菅井 陽生

  あの日に飛んだくつはもうない

         群馬県立伊勢崎興陽高等学校 長井 遥愛


2022年2月11日金曜日

青穂43号が発行されました

 






青穂43号が発行されました。
画像は、表紙(戸田勝画)、青穂抄(平山礼子選)、色紙(荻原井泉水)

目次より本号の内容
・新同人紹介
・同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(高木架京選)
・エッセイ・評論
 記憶に残る俳人・俳句4         後谷五十鈴 おおひさ悦子
 私と自由律俳句4            薄井啓司
 吉多紀彦句集「ふりむいたねこ」を読んで 平岡久美子
 吉多紀彦句集鑑賞            久光良一
 きむらけんじ「きまぐれ写俳日記39」
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 同人新刊案内、お知らせ、同人情報、編集後記


「記憶に残る俳人・俳句」という面白い企画が始まっています。
平成令和の自由律俳人の、多様な作風のラインアップはなかなか触れる機会がないので、
私は楽しみにしています。


敬称略
(文:久坂夕爾)

2022年1月29日土曜日

河本緑石句抄

風がおとすものを拾ふている

あらうみのやねやね

麥がのびる風の白猫

闇がおつかぶさる墓の火を焚く

抱く子がいない家にもどつて來た

椿さきくづれて墓石の字をほる

岩に草生ふる道が涼しくなる

山の宿は梅干しほしてきりぎりす

女も稲追うて來る釣橋

産れ來て赤坊ねむりつづける

埋立の草たける晝の波

冬の夕焼け淋しい指が生えた

土にしむ日をほりにくる

雲ひかり雨ひかり祭りの太鼓

新月に木の芽が暗い藁家

地にたぎる雨となるまで土うちやまず

夕陽さんらん野の人一人


ふらここ叢書「河本緑石作品集4 層雲」/河本緑石研究会 より抜粋


私の非力な鑑賞眼ですからあてにはなりませんが、「土」や「火」や「水」といった単純な題材が多いと感じたことと、(自身を含めた)対象を見ようとする力強い「眼」を感じる句群、という印象でした。「対象物」+動詞、+形容詞、というかたちをとるものが私の目に残ったからだと思います。


たとえばこんな詩も、河本緑石という作家の方向性を見定めるのに役に立つかもしれません。同じく俳誌「層雲」に掲載された詩です。



顔、顔

顔面がくもの巣で

赤坊がそこに巣食っている



再び草原より N(ある情感)


私をささへてくれる力が

どれも萎えてしまつた

私はすべなく、海底に沈んだなまこのやうに

水ぶくれした身體から

細い無數の足を伸べ

しきりに精子を水に浮べる

時々起る海上の波の波動が

海底の砂をおしつけて

死にかかった私の身體を

折り曲げやうとするのだ


(文:久坂夕爾)