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2021年10月4日月曜日

青穂41号より同人新刊案内

 





青穂41号より同人新刊の案内

上:三好利幸 「三好利幸自由律俳句集Ⅴ」
  きやらぼくの会 「年間句集2020」

下:久坂夕爾 個人詩誌「午前」第8号


(文:久坂夕爾)


2020年11月1日日曜日

ハイクノミカタ


最近、俳句に関する面白いサイトが立ち上がっています。

ハイクノミカタ

日替わりの句鑑賞の執筆陣が、なかなか魅力的。

月曜日=日下野由季
火曜日=鈴木牛後
水曜日=月野ぽぽな
木曜日=橋本直
金曜日=阪西敦子
土曜日=太田うさぎ
日曜日=小津夜景


本日の小津夜景さんの鑑賞文より印象的な個所を引用。

歴史的にいって、詩歌(韻文)をつくるとは、虚構化の作業を意味する。それゆえ詩歌のイメージは映像化できないことが少なくない。たとえば石原吉郎の作品は、現実に対応しない言葉の構造を立ち上げ、風景になりそうでならないぎりぎりの世界を描いた典型だけれど、あのイメージの内圧の高さは実体を欠くからこそに他ならない。目をとじて風景とはぐれること、何ひとつ思い起こせない状態でたたずむこと、目をあけてもそこに何もないこと   これらは詩歌を読むときの、とてつもなく深い快楽でありうる

石原吉郎作品のイメージの内圧の高さを「実態を欠く」からこそであり、
「それこそが詩歌を読むときの快楽」でありうる、
と書いてあることは、賛同するかどうかはともかく注目していい言葉だと思います。
ちょうどいま、郷原宏著の評伝「岸辺のない海 石原吉郎ノート」を読んでいるところなので興味をひきました。

月野ぽぽなさんは、角川俳句賞の受賞者で、
自由律俳句誌「きやらぼく」の若手作家特集にも登場した方ですね。


「ハイクノミカタ」管理人は堀切克洋氏。
以下、「管理人について」より転載。
1983年生まれ。2011年7月「銀漢」入会、2014年同人。2014年、第6回石田波郷新人賞奨励賞、2015年、第6回北斗賞準賞、2016年、俳人協会第3回新鋭評論賞大賞、2017年、第8回北斗賞受賞、2018年、第一句集『尺蠖の道』上梓、2019年、第42回俳人協会新人賞、2020年第21回山本健吉評論賞。


(文:久坂夕爾)

2020年8月30日日曜日

青穂37号よりお知らせなど

 







青穂本誌37号よりお知らせを転載します。

上:同人新刊案内
 きやらぼくの会「年間句集二〇一九 自由律俳句きやらぼく」
 酒本郁也 「呟くさよならを君が聞きかえした」
      「いしづちたろう句集」

中:山頭火ふるさと館情報
  第三回山頭火ふるさと館自由律俳句大会

下:第95回放哉忌 於小豆島 報告

(文:久坂夕爾)


2019年8月14日水曜日

ペガサスの時代(自由律俳句誌「きやらぼく」の源流)





せつせつとした長律の自由律俳句が特徴的でした。

青穂では後谷五十鈴さんがその長所を引き継いでいると思われます。
短律と長律は、ことばの扱い方が違う気がしますね。当然読み方も。
短い表現では屈折や飛躍がめざましく読者をとらえるのに対し、
長い表現では声やことばを積み重ねた情景が染み入るようです。

いくつか印象に残った句を。

思ったほどの感傷もなく子を堕してからの松の芯に陽 三好米子
女それをこばんだ夜がいつか朝になっている透明なガラス 井上安江
しょせん使われる者の立場を知ってしまい爪きれば指にかよう血の色 朝倉秋富
バイオリンでは食えんよと言って弾いておる男黄昏れはじめる 岡崎守弘
さくら、山の手の煙草屋の百万円当ったポスターにさいておる 井上有紀男
草の匂い草丈高くたわむれに少年の一人が悪者になっている 三好草一



あとがき「ペガサス」を復刻するにあたって 三好利幸

手許に古びた八冊の句誌が残されていた。岡崎守弘と後谷五十鈴の手を経たものだが、B四版二つ折り八頁から十二頁のスタイルは現在の「きやらぼく」にまで踏襲されており、これが、河本緑石の「苺の会」を源流とし、戦前の「あをぞらの会」、戦後の「日ざしの会」を継いで賑わしいものとなった「ペガサスの会」の句誌だった。その会が活動休止を余儀なくされた後「梨の花の会」として復活し、名前を変えて「きやらぼくの会」となり、現在も倉吉の地に滔々と息づく自由律俳句の流れとなっている。(後略)


私、久坂が仲間と同人誌を創刊したころは、1行表示しかできないワープロを駆使したコピー冊子でした。神保町の「コピー屋」(そういう店が当時はあった)で大量コピーし、新宿のアドホックで買った製本用ホチキス(軸が直角に曲がって、中央で閉じられるタイプのもの)で綴じて。そんなことを懐かしく思い出しました。

「ペガサスの時代」は三好利幸氏より寄贈されました。感謝。

(文:久坂夕爾)

紹介したい寄贈図書がいくつかあるのですが、個人的事情により掲載が遅れてしまっています。申し訳ありません。少しづつ掲載します。

2019年1月26日土曜日

きやらぼく若手作家競詠


自由律俳句誌「きやらぼく」新年号特集にて、
若手作家競詠。

寄稿者は、
日下部直起
本間とろ
久坂夕爾
正木かおる
若木はるか
月野ぽぽな
松尾貴
杉本ゆきこ
馬場古戸暢

ありがたいことに、私も寄稿させていただいています。
少しだけ作品を紹介します。

水の音だった鍵盤からこぼれる     日下部直起
街を化け物のように見上げる      本間とろ(青穂同人)
缶詰に身の脂、あ、あ、あ、あふれて  久坂夕爾(青穂同人)
雪だるまひとつ置いて本日休業     正木かおる
電波塔は鳥籠 閉じこめ放つ幾億のうた 若木はるか
ともだちの手紙の字風邪ひいている   月野ぽぽな
立ち止まっても流されている      松尾貴
擦りきれた夢捨てるシマウマ海岸    杉本ゆきこ
夜が近づくにおいと帰る        馬場古戸暢


きやらぼくは鳥取の自由律俳句誌
発行後にバックナンバー(PDF)としてサイトにアップされます。

http://kyaraboku.blogspot.com/


作者自身の情動をストレートに感じさせる、若木・松尾・馬場氏に対し、
月野・本間氏はひと呼吸おいて自分を見つめているように思えます。

自然(外界)を表現しようとする方では、
印象主義的な日下部氏や、私(久坂)など。

是非、上記きやらぼくのサイトで、ご覧ください。


(文:久坂夕爾)