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2019年2月24日日曜日

俳句アンソロジー






















現代俳句協会青年部編
「新興俳句アンソロジー」をところどころ拾い読み。
自由律関連では、
栗林一石路、橋本夢道、吉岡禅寺洞。

アンソロジーというと、
俳句を書き始めた頃に出会った
・川名大「現代俳句」、
・清水哲男「増殖する俳句歳時記」
(言わずもがなかも知れませんが、ネットでも読めます。ここ。)
俳句が実は面白いものだと気付いた
・中村裕「俳句鑑賞450番勝負」
たぶん阿部青鞋の句に初めて出会ったのはここではないかと思われる
・冨田拓也 俳人ファイル
(確か俳句空間か豈Weekly)

あたりが、思い出されます。
もっと著名な俳人のものも数冊読みましたが、
何が面白いのかピンと来ない。
私には合わなかったのでしょう。


栗林一石路の章(相子智恵選)からいくつか引きます。

死ぬ日近きに弟よ銭のこといえり
シャツ雑草にぶっかけておく
どれにも日本が正しくて夕刊がぱたぱたたたまれていく
娘よひきあげろ働いた金だぞふんだくってでも来(こ)うよ
なにもかも月もひん曲がってけつかる
どっと笑いしがわれには病める母ありけり


最後に、「シャツ」の句に関する清水哲男氏の至言を。上記の「俳句歳時記」から。

戦前のプロレタリア俳句運動の代表句として知られるこの一句は、現在にいたるもその訴求力を失ってはいない。これが俳句だろうかだとか、ましてや無季がどうしたのとかいう議論の次元をはるかに越えて、この力強く簡潔な「詩」に圧倒されない人はいないだろう。そして詩とは、本来こうあるべきものなのだ。根底に詩があれば、それが俳句だろうと和歌だろうと、その他の何であろうが構いはしないのである。くどいようだが、俳句や和歌のために詩はあるのではない。逆である。


***


さきごろ詩人の入澤康夫さんが亡くなりました。
失礼ながら、特に積極的に読んだ詩人ではないのですが、
それでも、「キラキラヒカル」など(詩集「倖せそれとも不倖せ」)は
覚えています。

感情を排して「物語詩」「叙事詩」を書こうとした方だったと思っています。

(文:久坂夕爾)