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2021年12月12日日曜日

どうしようもない人たちね

ちょっとした昔話です。 


高校生の頃、好意をもっている女の子がいたのですが(付き合うまでには至らず)、その子にある日、こんなことを言ったのを覚えています。

「そんな人だとは思わなかった」と。

すると、その子はこう切り返してきたのです。

「それはあなたが勝手に私をイメージしていただけのことでしょう」と。


彼女の発言をどう感じたのかは覚えていませんが、まだ高校生ですからねえ、当時の私はきっとショックだったのでしょう。今でも覚えているくらいですから。


彼女が倫理的に正しくないことをした、とか、そういうことではなかったと思います。完全に私の、彼女はそういう言動をしないだろう、という思い込みから来た発言で、思い込みであると気が付いたのも、もっと後になってから。もっといえば、「そういう言動をするかしないか」という私の判断基準を、一般的な倫理基準のように扱う、という二重の意味で恥ずかしいことを私はしていたわけです。


つまり、徹底的に彼女の発言のほうが正しいわけで。私の発言はもう、どうしようもないものですが。

ただ、その「どうしようもなさ」は結構多くの人にあるもののように思うのです。どうしようもないものを、裁くでもなく嘆くでもなく(それは「社会性」を「人間の現実」より上位のこととして観てしまうことに繋がるのではないかと。娯楽系の作品にはありがちですが。「いい人なんだけど〇〇〇」のような物言いも、この2つを同じ土俵で見てしまっているように思えて好きではありません。社会生活を営む上での規範と、人間性、とを順位づけて考えてはいけないでしょうね。)、ただ見続けること。





そんなことを思い出したのは、最近、こういう小説を読んだからでしょうか。

吉村萬壱「死者にこそふさわしいその場所」





帯にはこうあります。

 折口山に暮らすのは……

 ・セックスの回数を記録する愛人

 ・徘徊癖のある妻を介護する老人

 ・アパートのドアが開きっぱなしの裸男

 ・朝どうしても起きられなくなってしまった女

 ・困った人の面倒を見たがる聖職者


 どうしようもない人たちね

(文:久坂夕爾)


2020年12月16日水曜日

twitterの記事から

twitterをやっていると、ときおり面白い記事にであうことがあります。

もともと、自分から発信することはあまり好きではないので、

たいていは他人の書いた記事やつぶやきを読むだけなのですが。


最近見かけて「お気に入り」に入れている記事を少し紹介します。興味を引くものがあるでしょうか。


ちくま学芸文庫の記事より(シモーヌ・ヴェイユ「工場日記」)

詩も残している哲学者のヴェイユ。「重力と恩寵」読まなくては、と思いつつ。

映画「タゴール・ソングス」さんの記事より

インドの詩人タゴールにまつわるドキュメンタリー。来週見に行きます。

藤沢美由紀/毎日新聞社さんの記事より(新明解国語辞典)

 恋愛に関する記述を「男女」から同性も考慮した説明に変えようとした話題。国語辞典の編纂者であっても、「だけど『本来』の意味での恋愛っていうのは、圧倒的多数が男女だ。異性だ。」と主張する人がいるというのは、結構驚きでした。『本来』というのは歴史的に、という意味だろうか。まさか、生き物として、という意味だろうか。と少し考える。動物に同性愛があることも最近知られてきたんじゃなかったでしたっけ。人間の意識って染まりやすく変わりにくい、というおはなし。

内貴麻美/創元社さんの記事より(東千茅×吉村萬壱・人類堆肥化計画)

過度に美化された「自然」や「精神主義」に反旗を翻す内容らしく気になります。→どうしてもすぐ読みたくて電子書籍で買いました。

Minoriさんの記事より(トーベ・ヤンソン評伝の映画)

数年前に読んだヤンソンの短編はとても良かった。昔、英語の独学のために、ムーミン・シリーズのペーパーバッグを読んでいたことがあります。来年の公開が決まったようでこれも楽しみ。


※すべてtwitterのアカウント名および記事の内容です


twitterでは、その道の専門家のつぶやきに興味を惹かれることが多いですね。

昆虫学者、民俗学者、編集者、哲学者、人類学者、小説家、はては、

太平洋戦争当時の庶民の暮らしぶりを示す資料を蒐集している研究者だったり。

もちろん詩人や、創作者のつぶやきも。

好みに合いそうな本を見つけることも、

私にとって、twitterの大きな役割だったりします。

milk♪さんの記事より

あと、この記事はとても考えさせられます。「普通の人」のなかに厳然と存在する選民思想について。


(文:久坂夕爾)


2019年11月4日月曜日

エドワードゴーリーの優雅な秘密


連休を利用して、
東京都練馬区立美術館へ。
「エドワードゴーリーの優雅な秘密」展。






不気味でシュールで少しユーモラスな絵本作家。
と思っていたのですが、
イラストも数多く手がけていた方のようです。

「題名のない本」は、左に木、右に家の窓(なかに子供)という固定の背景
の真ん中で、いろんな生き物が
飛んだり跳ねたり変な声だしたりしている、という絵本で、
一番好きな絵本。

「ひぴてぃ うぃぴてぃ、」
「おくしぼりっく;」
「しっぷ、」
「さっぷ、」
「すー。」

知らない人は、何のことがさっぱりわからないでしょうけれど(笑)。

面白かった点のひとつは、
(残酷だったりナンセンスだったりするので、でしょうか)
「大人向けの絵本」で売り出そうとした編集者に対し
「子供にもわかる」「編集者がビビッている」とゴーリーが回想していた点。

日本にも「はれときどきぶた」というナンセンス絵本ありました。
こどもこそ、こういうものを喜びますよね。
「意味」を求めてしかつめらしく通俗的なものばかり求めるのは大人のほうだと、
ときどき思うことがあります。


そのあと、
神保町の古本まつりへ。
なんて良いタイミングで開催しているのか。

「読む時間なんてあるのか?」という脳内のツッコミを無視して、
数冊買いました。
(いつものことですが)

買ったのは、
尾崎翠「第七官界彷徨」
「山家鳥虫歌 近世諸国民謡」
近藤洋太「詩の戦後 宋左近/辻井喬/粟津則雄」
など。

詩、短歌、俳句をあまりジャンル分けに固執せずに
書いてある論評はつい読みたくなりますね。

(文:久坂夕爾)

2018年10月23日火曜日

俳句弾圧不忘の碑



いつか行ってみたかった場所のひとつに、
大岡信の「ことば館」(静岡県)があるのですが、
どうやら閉館してしまったらしく残念。。。。

と、思っていたところ、
行ってみたい場所を見つける。
とは言っても、何回か行った場所に
新しくできた碑を見に、ですが。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018022202000129.html

長野県上田にある無言館(信濃デッサン館)は、
高校生のときから数回行ったことがある。
そこにできた俳句弾圧不忘の碑。

太平洋戦争時に興った、反体制的な(と体制側に判断された)句を作った
俳人への弾圧は、自由律俳句も無関係ではなく。

以下、橋本夢道の句をいくつか。
実に1941年9月から1943年3月まで拘置所にいたことになる。
(「橋本夢道の獄中句・戦中日記」勝どき書房 より引用
・だれも彼も囚人は小供の夢を見るものか
・大戦起るこの日のために獄をたまわる
・うごけば寒い
・草の芽が青めばからだの血も青む
・日本の蝶に生まれて飛ぶ日かな
・どすんと冬の日暮れて笑はざる


ところで、無言館は戦争で命を落とした画学生の絵を展示してあるのですが、
本館である信濃デッサン館で出会った吉岡憲の「笛吹き」は
とても好きな絵でした。
立原道造の資料もあったのですが。。
こちらの本館も休館になってしまったんですよね。


(文:久坂)

2018年10月6日土曜日



正式にブログを開始することとなりました。
自由律俳句誌「青穂」のブログです。

これより、月1・2回を目安に更新していきます。
本誌に関する情報発信、および、自由記事の発信をしますが、
記事は当面
・黒崎渓水
・久坂夕爾(編集)
の2名で担当します。

自由律俳句、そして青穂の名前が、少しでも
ネットの海に拡散しますように。
折りにふれて、同人の作品も紹介したいと思っています。

なお、「青穂」の公式ホームページは別途右側のスリットより
お入りください。



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問い合わせは右側スリットの「お問い合わせ」欄に記入して送信してください




2018-10-06
(文・久坂)

2018年5月3日木曜日

このブログは、
自由律俳句誌「青穂」のブログ(編集担当:久坂夕爾)です。ただいま試験運用中。
本稼働時までもう少しお待ちください。

青穂が運営するホームページ、および、尾崎放哉賞のホームページに関しては、別途右側スリットにあるリンクよりご覧下さい。