お知らせ
2025年6月11日水曜日
青穂56号が発行されました
2025年5月28日水曜日
第九回尾崎放哉賞募集開始しています
興味のある方は、下のリンクをクリックしてみてください。
ご応募、お待ちしています。
※前回より、一般・高校生の区別がなくなっています。
ただし、投句料については、高校生であることがわかれば半額の千円となり、投句数の制限もありません。詳細は、上記ホームぺージの「ご案内はコチラ」をクリックしてご覧ください。
(文:久坂夕爾)
2025年4月28日月曜日
最近のネット記事から
2025年3月30日日曜日
第8回 尾崎放哉賞決定!
第8回 尾崎放哉賞が決定しています。
<一般の部>
尾崎放哉大賞
生家の栗の木は貉に任せてある 信 典
春陽堂賞
月を砕いて夜に染まり切らない川 松尾 貴
優秀賞
悼むには明るすぎる星が流れる 石井 一草
ビーチサンダルひとつ裏返って太平洋 一の橋世京
白い靴退屈を蹴った汚れ 大山 まる
どのテレビもガザの子が泣く電気屋 本山 麓草
君がいない余白に花を植える 森下 紙魚
敢闘賞
海月だらけ雨の街 大坪 有佑
【第八回尾崎放哉賞選者】
自由律俳句結社『青穂』役員:
小山貴子、黒崎溪水、平山礼子、高木架京、平岡久美子、三好利幸
皆様受賞、おめでとうございます。
表彰式が五月の青穂大会にて行われます。
他の入賞句については、尾崎放哉賞のホームページにてご確認ください。
(文:久坂夕爾)
2024年3月16日土曜日
第7回尾崎放哉賞決定
第7回 尾崎放哉賞が決定しています。
<一般の部>
尾崎放哉大賞
月を青くして誰もいないふる里 いまきいれ尚夫
春陽堂賞
両手の団栗こぼしながら駆けてくる 宮澤 省子
優秀賞
大人びてゆく液晶のなかの教え子 明 大
墓にまっすぐ見られながら立ち去る 楽遊原
バス停に子を降ろして稲刈機は去る 田畑 剛
背中の淋しさを見られながらおいとまする 久光 良一
秋がこぼれきって葉の先 古関 聰
敢闘賞
空振りする息子をした日もあった 小石 遥也
<高校生の部>
最優秀賞
同じ世界を見るために少し猫背になる 遠藤 涼太
(埼玉県立滑川総合高等学校)
【第七回尾崎放哉賞選者】
自由律俳句結社『青穂』役員:
小山貴子、黒崎溪水、吉多紀彦、平山礼子、高木架京、平岡久美子、三好利幸
受賞、おめでとうございます。
他の入賞句については、尾崎放哉賞のホームページにてご確認ください。
(文:久坂夕爾)
2023年12月17日日曜日
青穂50号よりお知らせなど
2023年9月30日土曜日
第七回尾崎放哉賞受付中です。締切は11月30日必着
第七回尾崎放哉賞の募集受付中です。
※ご注意
ホームページが、第六回までのものと変更になっていますので、ご注意ください。
ブックマークなどに入れている方は、お手数ですが、ページの差し替えをお願いします。
また、今回高校生の方の応募方法に変更があります。
上記ホームページで確認をお願いします。
(文:久坂夕爾)
2023年3月25日土曜日
2023年3月4日土曜日
第6回尾崎放哉賞決定
第6回尾崎放哉賞が発表されました。
<一般の部>
◆大賞
母の内にあるダムの静けさ 田中 佳
◆春陽堂賞
和音のように揺れあって光は春になる 久我 恒子
<高校生の部>
◆最優秀賞
フラスコの中ぎゅうぎゅうの都会 信田 龍之介
そのほかの入選句は、尾崎放哉賞(第1~6回) をご覧ください。
!第7回より、放哉賞告知サイトおよび、応募要項などの変更があります!
(文:久坂夕爾)
2022年12月14日水曜日
2022年10月30日日曜日
第6回尾崎放哉賞 締切(11月30日)まであと1か月を切りました。メールでの応募もできます。
第6回尾崎放哉賞の締切は11月30日。
締切がせまってきました。
クリックすると、尾崎放哉賞のページにジャンプしますので、
応募要項など、確認してみてください。
メールでの投句もできます。
是非、ご応募ください。
(文:久坂夕爾)
2022年10月10日月曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(4)
またまた、ヨルシカの続きです。
前回、井伏鱒二や正岡子規などに言及したヨルシカのインタビュー記事を引用しましたが、奇特な方がいるもので、ヨルシカ関連で作家を知った若者向けに、原典を紹介するというまとめ記事のサイトがありました。
何と素晴らしいことでしょう。
入口がバンドの楽曲だけど、「何だろう」と思って、インスパイアした作家の原典に行き着く。そしてそのうちの何人かは、その作家の原典を手にすると思います。そしてそしてそのうちのまた何人かは、放哉や山頭火の著作を手にするはずです。新しい時代の「辿り着き方」だと思います。そしてそのまた何人かが実際、句を作ってくれると、とてもとてもありがたいです。
もし、もしもですが、「ヨルシカ 尾崎放哉」でここ(青穂)に辿り着いた方、必ずご一報ください。
奥深い自由律俳句の世界へとご案内いたします。
放哉研究の第一人者であるうち(青穂)の代表も「若い人々に放哉が支持されて歌詞に盛り込まれるなんて、放哉本人もびっくりだと思います」と言っていました。
以下引用
音楽をきっかけに、文学に興味を持った人へ
(文:黒崎渓水)
2022年8月14日日曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(2)
ヨルシカのプロフィール
「ウミユリ海底譚」「メリュー」などの人気曲で知られるボカロP(ボーカロイド、UTAU、CeVIO(チェビオ)などの音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作して動画投稿サイトへ投稿する音楽家)のn-bunaが、女性シンガーのsuisをボーカリストに迎えて2017年に結成したバンド。n-bunaの持ち味である心象的で文学的な歌詞とギターサウンド、透明感のあるsuisの歌声を特徴とする。2017年4月に初の楽曲「靴の花火」のミュージックビデオを投稿。6月に1stミニアルバム「夏草が邪魔をする」をリリースした。2019年4月に1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」、8月に2ndフルアルバム「エルマ」を発表し、10月よりライブツアー「ヨルシカ
Live Tour 2019『月光』」を開催。2020年7月に3rdフルアルバム「盗作」をリリースした。
昭和生まれのアナログ人間には理解不能な単語が並びますが、とにかく尾崎放哉を世に広めてくれてありがとうございます、とひたすら言いたいです。
以下、楽曲「思想犯」歌詞と尾崎放哉の原句
<歌詞(抜粋)>
他人に優しいあんたにこの心がわかるものか
人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた
朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった
その為に包丁を研いでる
<原句>
木槿(ムクゲ)の葉のかげで包丁といでいる
<青穂ブログ管理人コメント>
この句は『層雲雑吟』と題された未発表句稿集の6番目に当たる句稿からの引用。あまり有名な句ではありません。
放哉の句意は写生の色彩が強く、歌詞のような犯罪的な意味ではないでしょう。
『思想犯』の歌詞は彼の俳句をモチーフにはしていますが、それを昇華させ、再構築しているように感じます。
それにしてもレアな句を取り上げたなあ、と思います。
<歌詞(抜粋)>
言葉の雨に打たれ
秋惜しむまま冬に落ちる
春の山のうしろからまた一つ煙が立つ
夏風が頬を滑る
<原句>
春の山のうしろから烟が出だした
<青穂ブログ管理人コメント>
一方こちらは有名な句。
死後「層雲」に発表された。『大空』では小豆島時代最後の句。鳥取の興禅寺に句碑あり。
再起不能の病床にあって、のどかに立ちのぼり始めた白い煙りに、春が来たことへの安らかな喜びを感じている。
歌詞では放哉の人生をかけた渾身の最終句という思い入れは感じさせず、四季に拡大して使用されています。
<歌詞(抜粋)>
君の言葉が呑みたい
入れ物もない両手で受けて
いつしか喉が潤うその時を待ちながら
鳥の歌に茜 この孤独よ詩に変われ
さよなら 君に茜 僕は今 夜を待つ
また明日 口が滑る
<原句>
入れものが無い両手で受ける
<青穂ブログ管理人コメント>
南郷庵の句碑の句。庵での独居生活の極限のような吐露。歌詞では言葉を両手で掬う場面として使用されています。
なおインタビューでは、以下のように述べられています。
――この曲(「思想犯」)はどういうモチーフから作ったんでしょうか。
n-buna 「思想犯」というテーマ自体は、ジョージ・オーウェルの『1984』という小説がもとになっています。言葉狩りの時代を描いたディストピア小説で。もう一つ、この曲の歌詞には尾崎放哉の俳句からとっている箇所があって。この曲自体が尾崎放哉の俳句と晩年をオマージュしている曲なんですね。このオマージュというのは盗用とも言えると思うんですけれど。「春の山のうしろから煙が出だした」とか「入れものがない両手で受ける」とか、尾崎放哉の晩年の作品や辞世の句を直接的にオマージュしている。そういう曲です。
(続く)
(文:黒崎渓水)
2022年7月24日日曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(1)
今回はもう一人の裏方が担当します。
5月の尾崎放哉賞の授賞式に出席したのですが、協賛をいただいている春陽堂書店さまのご挨拶の中で「最近、放哉はヨルシカなどでも盛り上がっており・・・」というコメントがありました。当方「???」
式の運営もあり、その場は質問することもなく過ぎたのですが、懇親会で高校生の部の入賞者と隣席となりました。「どうして自由律俳句を作り始めたの?やはり山頭火?」というありふれた問いを投げかけたところ、「ヨルシカがきっかけです」ときっぱり凛々しく答えてくれました。当方「???」
「オジサンさあ、何語を言ってるのかよくわからないんだけど、それ何なのか教えてくれる?」と哀願したところ、彼はニッコリとほほ笑んで、おもむろにスマホを取り出し、YouTubeで示してくれました。
知ってる方は知ってるのだと思いますが、人気のあるバンドだそうです。一部の楽曲は尾崎放哉の句のオマージュとなっているとのこと。
ヨルシカ『嘘月』より。
「夏が去った街は静か 僕はやっと部屋に戻って 夜になった こんな良い月を一人で見てる」
「歳を取った 一つ取った 何も無い部屋で春になった 僕は愛を、底が抜けた柄杓で呑んでる」
放哉の句はそのまま引用されているわけではありません。
とても練り上げられた歌詞だと思います。次回はヨルシカの「思想犯」を引用します。
2022年4月17日日曜日
らじお・ラヂオ
自由律俳句のコーナー(「らじおと放哉と山頭火と」青穂・小山代表も出演)があった
TBSラジオ「伊集院光とらじおと」が3月で終了していたようですね。
昼の番組なので、仕事の関係で私は一度も聞く機会はなかったのですが、
先日たまたまこのニュースを知りました。
youtubeにも一部配信されているようです。
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もしかしたら、このブログで紹介したことがあったかもしれませんが、
小説家・町田康氏が山頭火を題材に書いていました。
町田康氏は、
youtubeで「パンク山頭火ラヂオ」なるものも発信しています。
町田康現代語訳「宇治拾遺物語」/日本文学全集08 河出書房新社
がとても面白いと聞いて以前買ったのですが、恥ずかしながらいまだに積読のまま。
(文:久坂夕爾)
2022年2月27日日曜日
第5回尾崎放哉賞発表
第4回尾崎放哉賞が決定しました。
入賞句を一部紹介します
<一般の部>
◆尾崎放哉大賞
蝉時雨浴びて秘密基地の入り口 埼玉県 大川 久美子
◆春陽堂賞
選ばなかった道が交わる 京都府 伽 瑤
◆優秀賞
二年会えなかった父の薄いまぶた 愛知県 木村 恵子
レモンどこまでころがる冬陽の片隅 福岡県 重富 佐代子
年ごとの色を重ね私の海が凪ぐ 福岡県 丹村 敦子
レシートを栞にして読み終えた 岡山県 堀 将大
旅の空何も決めず酔っている 神奈川県 野谷 真治
◆敢闘賞
雪の中で目覚めたよな祖母のまつ毛 東京都 すずめ 園
<高校生の部>
◆最優秀賞
ページをめくる音はしだいに雨と重なった
群馬県立伊勢崎興陽高等学校 細井 美涼
◆優秀賞
教室には卒業しないままの思い出
群馬県立伊勢崎興陽高等学校 峯崎 沙弥香
クレヨンでかいた青空のうそ
群馬県立伊勢崎興陽高等学校 松村 にぃな
一人の教室から見る私だけの空
三重県立久居高等学校 石井 菜々美
今日の生き方、誰かのお古
群馬県立伊勢崎興陽高等学校 鈴木 彩
逃げ出したくて 真夜中の月に相談する
東筑紫学園高等学校 岩下 空依果
すれ違う君から春になる
愛知県立旭丘高等学校 渡邉 美愛
思いを投げ込む 切手の味が舌に残る
静岡県立静岡高等学校 榑林 優成
黒い海に落ちていく片羽の飛べない蝶
群馬県立伊勢崎興陽高等学校 細川 華伽
俺達の仮に生きて行ける秋風
埼玉県立特別支援学校 坂戸ろう学園 菅井 陽生
あの日に飛んだくつはもうない
群馬県立伊勢崎興陽高等学校 長井 遥愛
2021年10月27日水曜日
2021年10月4日月曜日
「自由律俳句と詩人の俳句」より
樽見博著「自由律俳句と詩人の俳句」(文芸通信)より、印象に残った部分を抜粋しておきます。
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ただ、放浪漂泊といっても、放哉は死に場所を見つけるべくあてどない放浪を強いられたのに対し、山頭火は放浪そのものを求めたというか、甘えの極致に近く楽しんでいる風がある。その差は果てしなく大きいだろう。
放哉の表現は、もっぱら自己を掘り下げようとするものであり、(略)それに対して山頭火は、(略)むしろ、自己に沈潜するよりも、自己を他者に向かって開こうとしている。
※「俳句」第44巻7号 坪内稔典「山頭火俳句の特色ー自己を開くリズム」引用部分
このこと(※注)は自由律俳句の成長途上の一つの屈折であり、井泉水の印象主義的象徴主義運動が東洋的な心境主義的主観主義とでも言うべきものに向かう屈折でもあった。「詩」の圏内に入りかけた自由律俳句が(二行詩という名まで進んだ俳句が)又、俳句それ自身の世界を「詩」の世界と区別し始めたのであった。
※伊澤元美著「現代俳句の流れ」(昭和31年河出新書)引用部分
※注 俳句を二行詩と捉え『国民詩』とする荻原井泉水の構想が頓挫したこと(久坂が本文前段より要約)
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放哉と山頭火の違いは、私自身が何となく感じていたことを裏付けしてくれるような解釈でした。また、ゲーテに影響をうけたはずの井泉水の「層雲」が、なぜ放哉・山頭火に代表される主観主義的な流れを生んだのだろうか、何かきっかけがあったのだろうか、という、私の以前からの疑問への一つの回答例があったこと、面白く読みました。
そのほか印象に残った記事は、松尾あつゆき、大橋裸木、中塚一碧楼、横山林二、ルビ俳句のこと、詩人の作る俳句が意外にオーソドックスなものが多いことなど。
最後に、もう少しだけ引用。筆者によるまえがきより。
俳句という文学行為は「俳句とは何か」と問い続けるもので、その正解のない解答を得るために、個々が様々な試行を繰り返す必要がある。(略)俳句に関わる者は、五七五定型、季語、切れ字の効用に凭れかかることなく、考え続けなくてはいけない。自由律俳人たちの懸命な足跡はその意味を教えてくれるのである。
自由律俳句は、もともと文学志向の強い俳句形式だったわけです。
(文:久坂夕爾)
2021年5月24日月曜日
青穂40号および放哉友の会機関紙の記事紹介
2021年5月15日土曜日
青穂40号が発行されました