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2022年8月14日日曜日

青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(2)

 ヨルシカのプロフィール

「ウミユリ海底譚」「メリュー」などの人気曲で知られるボカロP(ボーカロイド、UTAUCeVIO(チェビオ)などの音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作して動画投稿サイトへ投稿する音楽家)のn-bunaが、女性シンガーのsuisをボーカリストに迎えて2017年に結成したバンド。n-bunaの持ち味である心象的で文学的な歌詞とギターサウンド、透明感のあるsuisの歌声を特徴とする。20174月に初の楽曲「靴の花火」のミュージックビデオを投稿。6月に1stミニアルバム「夏草が邪魔をする」をリリースした。20194月に1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」、8月に2ndフルアルバム「エルマ」を発表し、10月よりライブツアー「ヨルシカ Live Tour 2019『月光』」を開催。20207月に3rdフルアルバム「盗作」をリリースした。

 

昭和生まれのアナログ人間には理解不能な単語が並びますが、とにかく尾崎放哉を世に広めてくれてありがとうございます、とひたすら言いたいです。

以下、楽曲「思想犯」歌詞と尾崎放哉の原句

 

<歌詞(抜粋)>

他人に優しいあんたにこの心がわかるものか

人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた

朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった

その為に包丁を研いでる

<原句>

木槿(ムクゲ)の葉のかげで包丁といでいる

<青穂ブログ管理人コメント>

この句は『層雲雑吟』と題された未発表句稿集の6番目に当たる句稿からの引用。あまり有名な句ではありません。

放哉の句意は写生の色彩が強く、歌詞のような犯罪的な意味ではないでしょう。

『思想犯』の歌詞は彼の俳句をモチーフにはしていますが、それを昇華させ、再構築しているように感じます。

それにしてもレアな句を取り上げたなあ、と思います。

 

<歌詞(抜粋)>

言葉の雨に打たれ

秋惜しむまま冬に落ちる

春の山のうしろからまた一つ煙が立つ

夏風が頬を滑る

<原句>

春の山のうしろから烟が出だした

<青穂ブログ管理人コメント>

一方こちらは有名な句。

死後「層雲」に発表された。『大空』では小豆島時代最後の句。鳥取の興禅寺に句碑あり。

再起不能の病床にあって、のどかに立ちのぼり始めた白い煙りに、春が来たことへの安らかな喜びを感じている。

歌詞では放哉の人生をかけた渾身の最終句という思い入れは感じさせず、四季に拡大して使用されています。

 

<歌詞(抜粋)>

君の言葉が呑みたい

入れ物もない両手で受けて

いつしか喉が潤うその時を待ちながら

鳥の歌に茜 この孤独よ詩に変われ

さよなら 君に茜 僕は今 夜を待つ

また明日 口が滑る

<原句>

入れものが無い両手で受ける

<青穂ブログ管理人コメント>

南郷庵の句碑の句。庵での独居生活の極限のような吐露。歌詞では言葉を両手で掬う場面として使用されています。

 

なおインタビューでは、以下のように述べられています。

――この曲(「思想犯」)はどういうモチーフから作ったんでしょうか。

n-buna 「思想犯」というテーマ自体は、ジョージ・オーウェルの『1984』という小説がもとになっています。言葉狩りの時代を描いたディストピア小説で。もう一つ、この曲の歌詞には尾崎放哉の俳句からとっている箇所があって。この曲自体が尾崎放哉の俳句と晩年をオマージュしている曲なんですね。このオマージュというのは盗用とも言えると思うんですけれど。「春の山のうしろから煙が出だした」とか「入れものがない両手で受ける」とか、尾崎放哉の晩年の作品や辞世の句を直接的にオマージュしている。そういう曲です。

 

(続く)


(文:黒崎渓水)


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