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2024年3月25日月曜日

高田弄山句抄


近頃は長針と短針に足を挟まれます

緞帳ストン首は闇に陳列される

あと一塗りの空から鳥がすり抜けた

ほたる仮縫いの夜をほどく

笑っている人の顔で笑っている

耳穴から溢れる砂時計の波音

映る花にとまり蝶は鏡で飼われる

ハサミが入り薔薇は女の匂いを放つ

なみなみと注がれ舞蝶がすけてくる

井戸の底に落した影が澄んでいる

風ねむれぬ夜は放火魔と通じあい

小鳥を数え終えて密林消えた

蟻が地平線を持ちあげてゆく花野

風がくるくるむけて月がまぶしい

ガラス片の霧雨に人魚とすれちがう

桃が闇を引いて転がり落ちる

金魚ゆらゆら花のひらく匂いがする

月は何色にぬっても嘘になる

絵の具がかわくまで生きていた蝶

夜店の人魚に値札がついている


高田弄山(たかだ・ろうざん)(1956-2013)の句に接しての私の印象は、「不穏で生命力の薄い静寂」。そして、表現力がある作家性の強い作風。絵画もたしなんでいたように見えます。


句については、下記京都泉の会のブログから抄出・引用させていただきました。ありがとうございます。問題があるようでしたら、お知らせください。

この泉の会のブログには、かなりの数の自由律俳人の句抄もあり(野村朱燐洞の句抄もありました。)、ここ数年精力的に更新されていますので読みでがあります。

ぜひ、訪問してみてください。右側スレッドにリンクも貼りました。

自由律俳句 京都・泉の会ブログ

(文:久坂夕爾)



2022年1月29日土曜日

河本緑石句抄

風がおとすものを拾ふている

あらうみのやねやね

麥がのびる風の白猫

闇がおつかぶさる墓の火を焚く

抱く子がいない家にもどつて來た

椿さきくづれて墓石の字をほる

岩に草生ふる道が涼しくなる

山の宿は梅干しほしてきりぎりす

女も稲追うて來る釣橋

産れ來て赤坊ねむりつづける

埋立の草たける晝の波

冬の夕焼け淋しい指が生えた

土にしむ日をほりにくる

雲ひかり雨ひかり祭りの太鼓

新月に木の芽が暗い藁家

地にたぎる雨となるまで土うちやまず

夕陽さんらん野の人一人


ふらここ叢書「河本緑石作品集4 層雲」/河本緑石研究会 より抜粋


私の非力な鑑賞眼ですからあてにはなりませんが、「土」や「火」や「水」といった単純な題材が多いと感じたことと、(自身を含めた)対象を見ようとする力強い「眼」を感じる句群、という印象でした。「対象物」+動詞、+形容詞、というかたちをとるものが私の目に残ったからだと思います。


たとえばこんな詩も、河本緑石という作家の方向性を見定めるのに役に立つかもしれません。同じく俳誌「層雲」に掲載された詩です。



顔、顔

顔面がくもの巣で

赤坊がそこに巣食っている



再び草原より N(ある情感)


私をささへてくれる力が

どれも萎えてしまつた

私はすべなく、海底に沈んだなまこのやうに

水ぶくれした身體から

細い無數の足を伸べ

しきりに精子を水に浮べる

時々起る海上の波の波動が

海底の砂をおしつけて

死にかかった私の身體を

折り曲げやうとするのだ


(文:久坂夕爾)