インターネットで面白い記事を見つけたのであげておきます。
◆第65回岸田國士戯曲賞に寄せて 柳美里
https://genron-alpha.com/gb065_02/
他人の作品を選評するとはどういうことか、文学とは何の上になりたっているか、文芸ジャーナリズムとは何か。出版社・作家どちらの味方か、という表面的なことではなく、考えさせられることの多い文章です。
文学で年齢(経験年数)は関係ない。創作者も生活者であって、文学はその上に成り立っている。この2点を言及している前後は特に。
柳美里氏といえば、小説「JR上野駅公園口」が話題になりましたね。また、文中、高樹のぶ子氏の発言が引用されていました。たしか十代の頃、小説「光抱く友よ」を読んだことがあります。
◆デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)(無意識下の脳の活動)について
DEGITAL DETOX
https://digitaldetox.jp/column/dmn_sanjyo/
「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)
https://www.jstage.jst.go.jp/static/pages/JstageOverview/-char/ja
シュルレアリスムを思い起こしました。
シュルレアリスムとは、わけのわからない(シュールな)ものを描くということではなく「自動筆記」などに象徴されるように、無意識下での意識を掘り起こす芸術活動だったと記憶しています。
付記したJ-STAGEは、専門家の論文を読むことが出来るサイト。
インターネットが発達して、こういう専門知のデータベースが無料で閲覧できる。しかも、私のような素人でもgoogleで検索してすぐに表示される。
先日は別のデータベースで、日本における過去の識字率に関する論文を読みました。識字率を{①自分の名前を書けない}{②自分の名前を書ける}{③物語などを読んで理解できる}の3段階に分けて、江戸時代あたりからの公文書をもとに分析したもの。
昭和20年代でも①の方はいたことは知っていましたが、明治時代のある地方では③の方は約30%にすぎなかったようです。江戸時代の日本が、『多くの人民』が物語なども楽しむことが出来る『世界に冠たる文化国家』だった、というようなよくある言説はちょっと眉唾かもしれません。自分の所属する領域・団体をひいきしたがる普遍的心情が、いつのまにか事実を捻じ曲げるかもしれないという、これもありがちなことです。からだの感覚がもたらす「イメージ」と、あたま(こころ)が勝手に世間から引用した「イメージ」は分けないといけない、後者には(専門知による)裏付けが必要、ということだと思います。
(文:久坂夕爾)
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