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2019年8月14日水曜日

ペガサスの時代(自由律俳句誌「きやらぼく」の源流)





せつせつとした長律の自由律俳句が特徴的でした。

青穂では後谷五十鈴さんがその長所を引き継いでいると思われます。
短律と長律は、ことばの扱い方が違う気がしますね。当然読み方も。
短い表現では屈折や飛躍がめざましく読者をとらえるのに対し、
長い表現では声やことばを積み重ねた情景が染み入るようです。

いくつか印象に残った句を。

思ったほどの感傷もなく子を堕してからの松の芯に陽 三好米子
女それをこばんだ夜がいつか朝になっている透明なガラス 井上安江
しょせん使われる者の立場を知ってしまい爪きれば指にかよう血の色 朝倉秋富
バイオリンでは食えんよと言って弾いておる男黄昏れはじめる 岡崎守弘
さくら、山の手の煙草屋の百万円当ったポスターにさいておる 井上有紀男
草の匂い草丈高くたわむれに少年の一人が悪者になっている 三好草一



あとがき「ペガサス」を復刻するにあたって 三好利幸

手許に古びた八冊の句誌が残されていた。岡崎守弘と後谷五十鈴の手を経たものだが、B四版二つ折り八頁から十二頁のスタイルは現在の「きやらぼく」にまで踏襲されており、これが、河本緑石の「苺の会」を源流とし、戦前の「あをぞらの会」、戦後の「日ざしの会」を継いで賑わしいものとなった「ペガサスの会」の句誌だった。その会が活動休止を余儀なくされた後「梨の花の会」として復活し、名前を変えて「きやらぼくの会」となり、現在も倉吉の地に滔々と息づく自由律俳句の流れとなっている。(後略)


私、久坂が仲間と同人誌を創刊したころは、1行表示しかできないワープロを駆使したコピー冊子でした。神保町の「コピー屋」(そういう店が当時はあった)で大量コピーし、新宿のアドホックで買った製本用ホチキス(軸が直角に曲がって、中央で閉じられるタイプのもの)で綴じて。そんなことを懐かしく思い出しました。

「ペガサスの時代」は三好利幸氏より寄贈されました。感謝。

(文:久坂夕爾)

紹介したい寄贈図書がいくつかあるのですが、個人的事情により掲載が遅れてしまっています。申し訳ありません。少しづつ掲載します。