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2022年9月11日日曜日

青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(3)

 ヨルシカと尾崎放哉の句の続きです。

ヨルシカ(n-buna)はインタビューで次のように奥深いことも言ってます。

音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作するという現代的な面と、しかし一方でその歌詞の基本潮流はバリバリの王道近現代文学であるという二物衝突が面白いです。

放哉に加え、山頭火もリスペクトしているとのことです。

 

(以下インタビュー記事から引用)

   先ほどオスカー・ワイルドに大きな影響を受けたという話をしていましたが、それ以外にも、n-bunaさんが影響を受けた、自分の創作のルーツになっていると感じる人はどんな人があげられますか?

n-buna それはもう、沢山いますね。音楽的なところで言えば、僕はブルースとか、ギターヒーローのようなギタリストが好きなんです。ジョニー・ウィンター、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ラリー・カールトンのような人達が好きだし、影響を受けていると思います。映画だったら、クリストファー・ノーランやデビット・フィンチャー、あとはヒッチコックが好きで影響を受けています。あと、僕は近代歌人が好きなんです。名前を挙げるならば、正岡子規、与謝蕪村、種田山頭火の俳句や短歌にはすごく影響を受けています。作品の中でもいろんな箇所でオマージュしていますね。


―作品の中でオマージュしている、というと?

n-buna 「雨とカプチーノ」の詩には、正岡子規の「水草の 花の白さよ 宵の雨」という歌や、井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という言葉へのオマージュが入っています。あとは、物語の骨格にも井伏鱒二の「山椒魚」からの影響があります。「山椒魚」は簡単に言えば、どんどん自分の体が肥大していってそれによって岩屋から出られなくなった山椒魚が、ある日迷い込んできた蛙を閉じ込めてしまう話です。『エルマ』では、エルマ自身の 中で虚無感や焦燥感がどんどん肥大していく。エイミーの書く詩や文章、曲調やメロディー から、一人称までも真似して、エイミーになろうとする。ここでいう山椒魚はエルマです。岩屋は音楽であり、エイミーの残した作品であり、エルマの生き方そのものです。『山椒魚』を僕なりの解釈で噛み砕いて隠喩にしたものが、今作の骨組みであり土台です。

 

―初回限定盤【エルマが書いた日記帳仕様】の「日記帳」の中には松尾芭蕉と与謝蕪村の名前も出てきます。この作品には二人の関係もなぞらえられている印象もありますが。

n-buna そうですね。僕は与謝蕪村と松尾芭蕉の関係というものが好きで。与謝蕪村は、松尾芭蕉が残した作品に影響を受けて、芭蕉が辿った道をなぞるように日本中を旅している。それは本当に美しい芸術の模倣の仕方だと思うんです。それこそ、オスカー・ワイルドの言葉が、そのままこの頃の日本でも行われているんですよ。ヨルシカでエイミーとエルマの物語を作るにあたっても、そういう構造を描きたかったというのがあります。『山椒魚』も与謝蕪村の話もそうですけど、結局、僕はそのオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉をヨルシカで表現したかった、そこに尽きるんですよね。

 

―「雨晴るる」についてはどうでしょうか?

n-buna 「雨晴るる」は「六月は雨上がりの街を描く」の対になっています。「六月は雨上がりの街を描く」は雨上がりの曲じゃなくて、雨上がりの街を描きたいということをエイミーが書いている曲。そして、実際に、雨が上がって晴れた六月の街の曲をエルマが書いた曲が「雨晴るる」です。これは山頭火の句から題を取っています。山頭火は「山は街は梅雨 晴るる海のささ濁り」という歌を旅の途中で詠んでいるんですが、そこからとって「雨晴るる」というタイトルにしました。そのことによって山頭火へのリスペクトを示しています。

 

(続く)


インタビュー記事は以下のサイトより

ヨルシカ 2nd Full Album「エルマ」オフィシャルインタビュー


(文:黒崎渓水)



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