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記憶に残る俳人・俳句15 加藤邪呑
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ヨルシカと尾崎放哉の句の続きです。
ヨルシカ(n-buna)はインタビューで次のように奥深いことも言ってます。
音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作するという現代的な面と、しかし一方でその歌詞の基本潮流はバリバリの王道近現代文学であるという二物衝突が面白いです。
放哉に加え、山頭火もリスペクトしているとのことです。
(以下インタビュー記事から引用)
―
先ほどオスカー・ワイルドに大きな影響を受けたという話をしていましたが、それ以外にも、n-bunaさんが影響を受けた、自分の創作のルーツになっていると感じる人はどんな人があげられますか?
n-buna それはもう、沢山いますね。音楽的なところで言えば、僕はブルースとか、ギターヒーローのようなギタリストが好きなんです。ジョニー・ウィンター、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ラリー・カールトンのような人達が好きだし、影響を受けていると思います。映画だったら、クリストファー・ノーランやデビット・フィンチャー、あとはヒッチコックが好きで影響を受けています。あと、僕は近代歌人が好きなんです。名前を挙げるならば、正岡子規、与謝蕪村、種田山頭火の俳句や短歌にはすごく影響を受けています。作品の中でもいろんな箇所でオマージュしていますね。
―作品の中でオマージュしている、というと?
n-buna 「雨とカプチーノ」の詩には、正岡子規の「水草の 花の白さよ 宵の雨」という歌や、井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という言葉へのオマージュが入っています。あとは、物語の骨格にも井伏鱒二の「山椒魚」からの影響があります。「山椒魚」は簡単に言えば、どんどん自分の体が肥大していってそれによって岩屋から出られなくなった山椒魚が、ある日迷い込んできた蛙を閉じ込めてしまう話です。『エルマ』では、エルマ自身の
中で虚無感や焦燥感がどんどん肥大していく。エイミーの書く詩や文章、曲調やメロディー から、一人称までも真似して、エイミーになろうとする。ここでいう山椒魚はエルマです。岩屋は音楽であり、エイミーの残した作品であり、エルマの生き方そのものです。『山椒魚』を僕なりの解釈で噛み砕いて隠喩にしたものが、今作の骨組みであり土台です。
―初回限定盤【エルマが書いた日記帳仕様】の「日記帳」の中には松尾芭蕉と与謝蕪村の名前も出てきます。この作品には二人の関係もなぞらえられている印象もありますが。
n-buna そうですね。僕は与謝蕪村と松尾芭蕉の関係というものが好きで。与謝蕪村は、松尾芭蕉が残した作品に影響を受けて、芭蕉が辿った道をなぞるように日本中を旅している。それは本当に美しい芸術の模倣の仕方だと思うんです。それこそ、オスカー・ワイルドの言葉が、そのままこの頃の日本でも行われているんですよ。ヨルシカでエイミーとエルマの物語を作るにあたっても、そういう構造を描きたかったというのがあります。『山椒魚』も与謝蕪村の話もそうですけど、結局、僕はそのオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉をヨルシカで表現したかった、そこに尽きるんですよね。
―「雨晴るる」についてはどうでしょうか?
n-buna 「雨晴るる」は「六月は雨上がりの街を描く」の対になっています。「六月は雨上がりの街を描く」は雨上がりの曲じゃなくて、雨上がりの街を描きたいということをエイミーが書いている曲。そして、実際に、雨が上がって晴れた六月の街の曲をエルマが書いた曲が「雨晴るる」です。これは山頭火の句から題を取っています。山頭火は「山は街は梅雨 晴るる海のささ濁り」という歌を旅の途中で詠んでいるんですが、そこからとって「雨晴るる」というタイトルにしました。そのことによって山頭火へのリスペクトを示しています。
(続く)
インタビュー記事は以下のサイトより
ヨルシカ 2nd Full Album「エルマ」オフィシャルインタビュー
(文:黒崎渓水)
ヨルシカのプロフィール
「ウミユリ海底譚」「メリュー」などの人気曲で知られるボカロP(ボーカロイド、UTAU、CeVIO(チェビオ)などの音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作して動画投稿サイトへ投稿する音楽家)のn-bunaが、女性シンガーのsuisをボーカリストに迎えて2017年に結成したバンド。n-bunaの持ち味である心象的で文学的な歌詞とギターサウンド、透明感のあるsuisの歌声を特徴とする。2017年4月に初の楽曲「靴の花火」のミュージックビデオを投稿。6月に1stミニアルバム「夏草が邪魔をする」をリリースした。2019年4月に1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」、8月に2ndフルアルバム「エルマ」を発表し、10月よりライブツアー「ヨルシカ
Live Tour 2019『月光』」を開催。2020年7月に3rdフルアルバム「盗作」をリリースした。
昭和生まれのアナログ人間には理解不能な単語が並びますが、とにかく尾崎放哉を世に広めてくれてありがとうございます、とひたすら言いたいです。
以下、楽曲「思想犯」歌詞と尾崎放哉の原句
<歌詞(抜粋)>
他人に優しいあんたにこの心がわかるものか
人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた
朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった
その為に包丁を研いでる
<原句>
木槿(ムクゲ)の葉のかげで包丁といでいる
<青穂ブログ管理人コメント>
この句は『層雲雑吟』と題された未発表句稿集の6番目に当たる句稿からの引用。あまり有名な句ではありません。
放哉の句意は写生の色彩が強く、歌詞のような犯罪的な意味ではないでしょう。
『思想犯』の歌詞は彼の俳句をモチーフにはしていますが、それを昇華させ、再構築しているように感じます。
それにしてもレアな句を取り上げたなあ、と思います。
<歌詞(抜粋)>
言葉の雨に打たれ
秋惜しむまま冬に落ちる
春の山のうしろからまた一つ煙が立つ
夏風が頬を滑る
<原句>
春の山のうしろから烟が出だした
<青穂ブログ管理人コメント>
一方こちらは有名な句。
死後「層雲」に発表された。『大空』では小豆島時代最後の句。鳥取の興禅寺に句碑あり。
再起不能の病床にあって、のどかに立ちのぼり始めた白い煙りに、春が来たことへの安らかな喜びを感じている。
歌詞では放哉の人生をかけた渾身の最終句という思い入れは感じさせず、四季に拡大して使用されています。
<歌詞(抜粋)>
君の言葉が呑みたい
入れ物もない両手で受けて
いつしか喉が潤うその時を待ちながら
鳥の歌に茜 この孤独よ詩に変われ
さよなら 君に茜 僕は今 夜を待つ
また明日 口が滑る
<原句>
入れものが無い両手で受ける
<青穂ブログ管理人コメント>
南郷庵の句碑の句。庵での独居生活の極限のような吐露。歌詞では言葉を両手で掬う場面として使用されています。
なおインタビューでは、以下のように述べられています。
――この曲(「思想犯」)はどういうモチーフから作ったんでしょうか。
n-buna 「思想犯」というテーマ自体は、ジョージ・オーウェルの『1984』という小説がもとになっています。言葉狩りの時代を描いたディストピア小説で。もう一つ、この曲の歌詞には尾崎放哉の俳句からとっている箇所があって。この曲自体が尾崎放哉の俳句と晩年をオマージュしている曲なんですね。このオマージュというのは盗用とも言えると思うんですけれど。「春の山のうしろから煙が出だした」とか「入れものがない両手で受ける」とか、尾崎放哉の晩年の作品や辞世の句を直接的にオマージュしている。そういう曲です。
(続く)
(文:黒崎渓水)
今回はもう一人の裏方が担当します。
5月の尾崎放哉賞の授賞式に出席したのですが、協賛をいただいている春陽堂書店さまのご挨拶の中で「最近、放哉はヨルシカなどでも盛り上がっており・・・」というコメントがありました。当方「???」
式の運営もあり、その場は質問することもなく過ぎたのですが、懇親会で高校生の部の入賞者と隣席となりました。「どうして自由律俳句を作り始めたの?やはり山頭火?」というありふれた問いを投げかけたところ、「ヨルシカがきっかけです」ときっぱり凛々しく答えてくれました。当方「???」
「オジサンさあ、何語を言ってるのかよくわからないんだけど、それ何なのか教えてくれる?」と哀願したところ、彼はニッコリとほほ笑んで、おもむろにスマホを取り出し、YouTubeで示してくれました。
知ってる方は知ってるのだと思いますが、人気のあるバンドだそうです。一部の楽曲は尾崎放哉の句のオマージュとなっているとのこと。
ヨルシカ『嘘月』より。
「夏が去った街は静か 僕はやっと部屋に戻って 夜になった こんな良い月を一人で見てる」
「歳を取った 一つ取った 何も無い部屋で春になった 僕は愛を、底が抜けた柄杓で呑んでる」
放哉の句はそのまま引用されているわけではありません。
とても練り上げられた歌詞だと思います。次回はヨルシカの「思想犯」を引用します。
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画像は、上から表紙(戸田勝画)、色紙(吉岡禅寺洞)、青穂抄(久光良一選)