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2019年11月24日日曜日

自由律を動かせ

第3回尾崎放哉賞募集中‼
今週末が締切となります。(11月30日必着)

今年から、大賞のほか春陽堂賞も新設されました。
応募は2句1組で何組でも可。高校生は2句まで無料です。
まだの方、迷っている方も、これから出しても間に合います。

山頭火とは違った魅力を持つ放哉の名を冠する賞です。
ぜひ応募してみてください。

応募要項はここをクリック

自由律句のひろば資料




藤田踏青氏より貴重な資料をいただきました。
「自由律句のひろば」機関紙(上)および
「現代自由律100人句集」(下)

「自由律句のひろば」は、数年前まで存在した自由律俳句の超結社的集団。
(こういうことに興味がない&人付き合いがあまりない)私にとっては、
いつの間にかなくなってしまった集団、くらいにしか
認識していませんでした。Webサイトは時折ながめたりはしていたのですが。

どんな方が現代の自由律俳句の作者として名を連ねているのか、
「現代自由律100人句集」(第Ⅲ集)(2016年発行)より挙げてみます。

もちろん、この会に参加していなかった方もたくさんいるでしょう。
ネットや地域のイベントなどで個人で活動している方、
自由律系の結社に所属することを嫌って活動している方、
短歌・自由詩とジャンルをまたいで活動している方など。
あたり前ですが、そのなかにも、たぶん優れた書き手はいる、ということを前提として。

(地域別・北から)
畠働猫
太田和孝
加藤邪呑
吉本知裕
前田和子
野田麻由可
黒瀬文子
寺田和可
小山榮康
小山智庸
白松いちろう
荒木勉
いまきいれ尚夫
黒崎渓水
棚橋麗未
中島かよ
中塚唯人
平岡久美子
伊藤完吾
田中耕司
野谷真治
泉沢英子
埋田貞子
大軒妙子
久保田奈々弥
小池ますみ
鈴木憲
鈴木和枝
田中陽
ちばつゆこ
富田彌生
中村友乙
那須田康之
松尾尚子
渡野邊寿美子
田辺雅之
宮地祥子
𠮷田敷江
吉原陽子
正木土易
秋生ゆき
小山貴子
藤田踏青
高村昌慶
幾代良枝
後谷五十鈴
田中昭雄
三好利幸
ゆきいちご
陽蔭野無一
阿部美恵子
石竹和歌子
植田鬼灯
内田麻里
小野芳乃
佐伯初枝
佐々木研信
島田茶々
清水八重子
下瀬美保子
竹内朋子
田中里美
富永鳩山
富永順子
橋村美智子
原田智美
久光良一
部屋慈音
増田壽惠子
松尾貴史
松永眞弓
松永友世志
山本節子
和崎治人
今石咲子
荻島架人
楠本尚子
重富佐代子
高木架京
中村みやこ
馬場古戸暢
檜幽可
増田眞寿子
松養榮貞
藤岡徹
徳永純二

※発行当時に物故だった方を除いています。
※敬称略

藤田踏青さん、ありがとうございました。

(文:久坂夕爾)

2019年11月16日土曜日

栗林一石路句抄


そこの土まもるべく木実芽生えけり
死ぬ日近きに弟よ銭のこと言えり
二階から足がおりてくる寒い顔になる
シャツ雑草にぶっかけておく
なにもかも月もひん曲ってけつかる
娘よひきあげろ働いた金だぞふんだくってでも来(こ)うよ
街のどてっ腹を掘りぬいて君たち唄いながら出てくる
やすい蚕がずんずんふとる夫婦で飯
目刺のような兵隊が生きていたラッパが鳴りだした
北海道へ樺太へからだだけはもって船底にごろ寝
生きて通夜の蚊をたたく縁側の草
死顔の母の枕辺を起(た)ちさて人寄せの事
かかる世に百姓酔えばののしる性をすてず
調書で罪になってゆく蝉が鳴いている
墜ちくる天ささえがたしや独房に
雨の若葉に食わせろの旗へばりつく
どれにも日本が正しくて夕刊がぱたぱたたたまれていく
どっと笑いしがわれには病める母ありけり
子ども自分の耳がある笑う
お話にならぬ蚕がしんしん桑を食う部屋じゅう
鉄をたたいて人間が空のどこかにいる
大きな弁当をさげて地突女がかたまってくる


栗林一石路は長野県青木村出身。
「プロレタリア俳句」とも言われていますが、そういうキャッチフレーズはあまり私は好みません。感傷に流されず、現実を社会を人間を見つめた俳句でしょう。
橋本夢道とともに荻原井泉水主宰の「層雲」を離れたのですが、「層雲」が、たとえて言えば私小説・心境小説のような傾向なのに対し、そこには収まりきらない句群であることは確かなようです。

「調書で罪になってゆく」では、石原吉郎(詩人)のシベリア抑留時のロシアによる罪状認否のくだりを、「地突女」では「ヨイトマケの唄」を、「墜ちくる天ささえがたし」では石牟礼道子の句集「泣きなが原」を連想したりしました。
現代でも、入管施設での非道や、ひとり親の貧困や、強情ともいえるナショナリズムや差別、チェーン店ばかり跋扈する資本の集中など、現実は昔とそうそう変わっていないようにも思えます。そこにスポットを当てて書く方が現れてもおかしくはないですね。


2019年11月4日月曜日

エドワードゴーリーの優雅な秘密


連休を利用して、
東京都練馬区立美術館へ。
「エドワードゴーリーの優雅な秘密」展。






不気味でシュールで少しユーモラスな絵本作家。
と思っていたのですが、
イラストも数多く手がけていた方のようです。

「題名のない本」は、左に木、右に家の窓(なかに子供)という固定の背景
の真ん中で、いろんな生き物が
飛んだり跳ねたり変な声だしたりしている、という絵本で、
一番好きな絵本。

「ひぴてぃ うぃぴてぃ、」
「おくしぼりっく;」
「しっぷ、」
「さっぷ、」
「すー。」

知らない人は、何のことがさっぱりわからないでしょうけれど(笑)。

面白かった点のひとつは、
(残酷だったりナンセンスだったりするので、でしょうか)
「大人向けの絵本」で売り出そうとした編集者に対し
「子供にもわかる」「編集者がビビッている」とゴーリーが回想していた点。

日本にも「はれときどきぶた」というナンセンス絵本ありました。
こどもこそ、こういうものを喜びますよね。
「意味」を求めてしかつめらしく通俗的なものばかり求めるのは大人のほうだと、
ときどき思うことがあります。


そのあと、
神保町の古本まつりへ。
なんて良いタイミングで開催しているのか。

「読む時間なんてあるのか?」という脳内のツッコミを無視して、
数冊買いました。
(いつものことですが)

買ったのは、
尾崎翠「第七官界彷徨」
「山家鳥虫歌 近世諸国民謡」
近藤洋太「詩の戦後 宋左近/辻井喬/粟津則雄」
など。

詩、短歌、俳句をあまりジャンル分けに固執せずに
書いてある論評はつい読みたくなりますね。

(文:久坂夕爾)