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2019年11月16日土曜日

栗林一石路句抄


そこの土まもるべく木実芽生えけり
死ぬ日近きに弟よ銭のこと言えり
二階から足がおりてくる寒い顔になる
シャツ雑草にぶっかけておく
なにもかも月もひん曲ってけつかる
娘よひきあげろ働いた金だぞふんだくってでも来(こ)うよ
街のどてっ腹を掘りぬいて君たち唄いながら出てくる
やすい蚕がずんずんふとる夫婦で飯
目刺のような兵隊が生きていたラッパが鳴りだした
北海道へ樺太へからだだけはもって船底にごろ寝
生きて通夜の蚊をたたく縁側の草
死顔の母の枕辺を起(た)ちさて人寄せの事
かかる世に百姓酔えばののしる性をすてず
調書で罪になってゆく蝉が鳴いている
墜ちくる天ささえがたしや独房に
雨の若葉に食わせろの旗へばりつく
どれにも日本が正しくて夕刊がぱたぱたたたまれていく
どっと笑いしがわれには病める母ありけり
子ども自分の耳がある笑う
お話にならぬ蚕がしんしん桑を食う部屋じゅう
鉄をたたいて人間が空のどこかにいる
大きな弁当をさげて地突女がかたまってくる


栗林一石路は長野県青木村出身。
「プロレタリア俳句」とも言われていますが、そういうキャッチフレーズはあまり私は好みません。感傷に流されず、現実を社会を人間を見つめた俳句でしょう。
橋本夢道とともに荻原井泉水主宰の「層雲」を離れたのですが、「層雲」が、たとえて言えば私小説・心境小説のような傾向なのに対し、そこには収まりきらない句群であることは確かなようです。

「調書で罪になってゆく」では、石原吉郎(詩人)のシベリア抑留時のロシアによる罪状認否のくだりを、「地突女」では「ヨイトマケの唄」を、「墜ちくる天ささえがたし」では石牟礼道子の句集「泣きなが原」を連想したりしました。
現代でも、入管施設での非道や、ひとり親の貧困や、強情ともいえるナショナリズムや差別、チェーン店ばかり跋扈する資本の集中など、現実は昔とそうそう変わっていないようにも思えます。そこにスポットを当てて書く方が現れてもおかしくはないですね。


2019年2月24日日曜日

俳句アンソロジー






















現代俳句協会青年部編
「新興俳句アンソロジー」をところどころ拾い読み。
自由律関連では、
栗林一石路、橋本夢道、吉岡禅寺洞。

アンソロジーというと、
俳句を書き始めた頃に出会った
・川名大「現代俳句」、
・清水哲男「増殖する俳句歳時記」
(言わずもがなかも知れませんが、ネットでも読めます。ここ。)
俳句が実は面白いものだと気付いた
・中村裕「俳句鑑賞450番勝負」
たぶん阿部青鞋の句に初めて出会ったのはここではないかと思われる
・冨田拓也 俳人ファイル
(確か俳句空間か豈Weekly)

あたりが、思い出されます。
もっと著名な俳人のものも数冊読みましたが、
何が面白いのかピンと来ない。
私には合わなかったのでしょう。


栗林一石路の章(相子智恵選)からいくつか引きます。

死ぬ日近きに弟よ銭のこといえり
シャツ雑草にぶっかけておく
どれにも日本が正しくて夕刊がぱたぱたたたまれていく
娘よひきあげろ働いた金だぞふんだくってでも来(こ)うよ
なにもかも月もひん曲がってけつかる
どっと笑いしがわれには病める母ありけり


最後に、「シャツ」の句に関する清水哲男氏の至言を。上記の「俳句歳時記」から。

戦前のプロレタリア俳句運動の代表句として知られるこの一句は、現在にいたるもその訴求力を失ってはいない。これが俳句だろうかだとか、ましてや無季がどうしたのとかいう議論の次元をはるかに越えて、この力強く簡潔な「詩」に圧倒されない人はいないだろう。そして詩とは、本来こうあるべきものなのだ。根底に詩があれば、それが俳句だろうと和歌だろうと、その他の何であろうが構いはしないのである。くどいようだが、俳句や和歌のために詩はあるのではない。逆である。


***


さきごろ詩人の入澤康夫さんが亡くなりました。
失礼ながら、特に積極的に読んだ詩人ではないのですが、
それでも、「キラキラヒカル」など(詩集「倖せそれとも不倖せ」)は
覚えています。

感情を排して「物語詩」「叙事詩」を書こうとした方だったと思っています。

(文:久坂夕爾)