お知らせ
2023年12月17日日曜日
青穂50号よりお知らせなど
2022年12月14日水曜日
2022年10月10日月曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(4)
またまた、ヨルシカの続きです。
前回、井伏鱒二や正岡子規などに言及したヨルシカのインタビュー記事を引用しましたが、奇特な方がいるもので、ヨルシカ関連で作家を知った若者向けに、原典を紹介するというまとめ記事のサイトがありました。
何と素晴らしいことでしょう。
入口がバンドの楽曲だけど、「何だろう」と思って、インスパイアした作家の原典に行き着く。そしてそのうちの何人かは、その作家の原典を手にすると思います。そしてそしてそのうちのまた何人かは、放哉や山頭火の著作を手にするはずです。新しい時代の「辿り着き方」だと思います。そしてそのまた何人かが実際、句を作ってくれると、とてもとてもありがたいです。
もし、もしもですが、「ヨルシカ 尾崎放哉」でここ(青穂)に辿り着いた方、必ずご一報ください。
奥深い自由律俳句の世界へとご案内いたします。
放哉研究の第一人者であるうち(青穂)の代表も「若い人々に放哉が支持されて歌詞に盛り込まれるなんて、放哉本人もびっくりだと思います」と言っていました。
以下引用
音楽をきっかけに、文学に興味を持った人へ
(文:黒崎渓水)
2022年9月11日日曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(3)
ヨルシカと尾崎放哉の句の続きです。
ヨルシカ(n-buna)はインタビューで次のように奥深いことも言ってます。
音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作するという現代的な面と、しかし一方でその歌詞の基本潮流はバリバリの王道近現代文学であるという二物衝突が面白いです。
放哉に加え、山頭火もリスペクトしているとのことです。
(以下インタビュー記事から引用)
―
先ほどオスカー・ワイルドに大きな影響を受けたという話をしていましたが、それ以外にも、n-bunaさんが影響を受けた、自分の創作のルーツになっていると感じる人はどんな人があげられますか?
n-buna それはもう、沢山いますね。音楽的なところで言えば、僕はブルースとか、ギターヒーローのようなギタリストが好きなんです。ジョニー・ウィンター、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ラリー・カールトンのような人達が好きだし、影響を受けていると思います。映画だったら、クリストファー・ノーランやデビット・フィンチャー、あとはヒッチコックが好きで影響を受けています。あと、僕は近代歌人が好きなんです。名前を挙げるならば、正岡子規、与謝蕪村、種田山頭火の俳句や短歌にはすごく影響を受けています。作品の中でもいろんな箇所でオマージュしていますね。
―作品の中でオマージュしている、というと?
n-buna 「雨とカプチーノ」の詩には、正岡子規の「水草の 花の白さよ 宵の雨」という歌や、井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という言葉へのオマージュが入っています。あとは、物語の骨格にも井伏鱒二の「山椒魚」からの影響があります。「山椒魚」は簡単に言えば、どんどん自分の体が肥大していってそれによって岩屋から出られなくなった山椒魚が、ある日迷い込んできた蛙を閉じ込めてしまう話です。『エルマ』では、エルマ自身の
中で虚無感や焦燥感がどんどん肥大していく。エイミーの書く詩や文章、曲調やメロディー から、一人称までも真似して、エイミーになろうとする。ここでいう山椒魚はエルマです。岩屋は音楽であり、エイミーの残した作品であり、エルマの生き方そのものです。『山椒魚』を僕なりの解釈で噛み砕いて隠喩にしたものが、今作の骨組みであり土台です。
―初回限定盤【エルマが書いた日記帳仕様】の「日記帳」の中には松尾芭蕉と与謝蕪村の名前も出てきます。この作品には二人の関係もなぞらえられている印象もありますが。
n-buna そうですね。僕は与謝蕪村と松尾芭蕉の関係というものが好きで。与謝蕪村は、松尾芭蕉が残した作品に影響を受けて、芭蕉が辿った道をなぞるように日本中を旅している。それは本当に美しい芸術の模倣の仕方だと思うんです。それこそ、オスカー・ワイルドの言葉が、そのままこの頃の日本でも行われているんですよ。ヨルシカでエイミーとエルマの物語を作るにあたっても、そういう構造を描きたかったというのがあります。『山椒魚』も与謝蕪村の話もそうですけど、結局、僕はそのオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉をヨルシカで表現したかった、そこに尽きるんですよね。
―「雨晴るる」についてはどうでしょうか?
n-buna 「雨晴るる」は「六月は雨上がりの街を描く」の対になっています。「六月は雨上がりの街を描く」は雨上がりの曲じゃなくて、雨上がりの街を描きたいということをエイミーが書いている曲。そして、実際に、雨が上がって晴れた六月の街の曲をエルマが書いた曲が「雨晴るる」です。これは山頭火の句から題を取っています。山頭火は「山は街は梅雨 晴るる海のささ濁り」という歌を旅の途中で詠んでいるんですが、そこからとって「雨晴るる」というタイトルにしました。そのことによって山頭火へのリスペクトを示しています。
(続く)
インタビュー記事は以下のサイトより
ヨルシカ 2nd Full Album「エルマ」オフィシャルインタビュー
(文:黒崎渓水)
2022年4月17日日曜日
らじお・ラヂオ
自由律俳句のコーナー(「らじおと放哉と山頭火と」青穂・小山代表も出演)があった
TBSラジオ「伊集院光とらじおと」が3月で終了していたようですね。
昼の番組なので、仕事の関係で私は一度も聞く機会はなかったのですが、
先日たまたまこのニュースを知りました。
youtubeにも一部配信されているようです。
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もしかしたら、このブログで紹介したことがあったかもしれませんが、
小説家・町田康氏が山頭火を題材に書いていました。
町田康氏は、
youtubeで「パンク山頭火ラヂオ」なるものも発信しています。
町田康現代語訳「宇治拾遺物語」/日本文学全集08 河出書房新社
がとても面白いと聞いて以前買ったのですが、恥ずかしながらいまだに積読のまま。
(文:久坂夕爾)
2021年10月4日月曜日
「自由律俳句と詩人の俳句」より
樽見博著「自由律俳句と詩人の俳句」(文芸通信)より、印象に残った部分を抜粋しておきます。
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ただ、放浪漂泊といっても、放哉は死に場所を見つけるべくあてどない放浪を強いられたのに対し、山頭火は放浪そのものを求めたというか、甘えの極致に近く楽しんでいる風がある。その差は果てしなく大きいだろう。
放哉の表現は、もっぱら自己を掘り下げようとするものであり、(略)それに対して山頭火は、(略)むしろ、自己に沈潜するよりも、自己を他者に向かって開こうとしている。
※「俳句」第44巻7号 坪内稔典「山頭火俳句の特色ー自己を開くリズム」引用部分
このこと(※注)は自由律俳句の成長途上の一つの屈折であり、井泉水の印象主義的象徴主義運動が東洋的な心境主義的主観主義とでも言うべきものに向かう屈折でもあった。「詩」の圏内に入りかけた自由律俳句が(二行詩という名まで進んだ俳句が)又、俳句それ自身の世界を「詩」の世界と区別し始めたのであった。
※伊澤元美著「現代俳句の流れ」(昭和31年河出新書)引用部分
※注 俳句を二行詩と捉え『国民詩』とする荻原井泉水の構想が頓挫したこと(久坂が本文前段より要約)
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放哉と山頭火の違いは、私自身が何となく感じていたことを裏付けしてくれるような解釈でした。また、ゲーテに影響をうけたはずの井泉水の「層雲」が、なぜ放哉・山頭火に代表される主観主義的な流れを生んだのだろうか、何かきっかけがあったのだろうか、という、私の以前からの疑問への一つの回答例があったこと、面白く読みました。
そのほか印象に残った記事は、松尾あつゆき、大橋裸木、中塚一碧楼、横山林二、ルビ俳句のこと、詩人の作る俳句が意外にオーソドックスなものが多いことなど。
最後に、もう少しだけ引用。筆者によるまえがきより。
俳句という文学行為は「俳句とは何か」と問い続けるもので、その正解のない解答を得るために、個々が様々な試行を繰り返す必要がある。(略)俳句に関わる者は、五七五定型、季語、切れ字の効用に凭れかかることなく、考え続けなくてはいけない。自由律俳人たちの懸命な足跡はその意味を教えてくれるのである。
自由律俳句は、もともと文学志向の強い俳句形式だったわけです。
(文:久坂夕爾)
2021年6月28日月曜日
2020年12月27日日曜日
種田山頭火全集
春陽堂より新しい種田山頭火全集が刊行されたようです。
下記をクリックすると詳細な記事を見ることができます
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000048069.html
2020年11月22日日曜日
青穂38号よりお知らせなど
2020年8月30日日曜日
青穂37号よりお知らせなど
2020年6月12日金曜日
2018年12月28日金曜日
種田山頭火賞など
現代詩手帖12月号(現代詩年鑑)の俳句時評に、
外山一機氏による夏石番矢「山頭火俳句集」(岩波書店)の紹介が載っていました。
手帖のほかにも、この著作の紹介を見たことがあるのですが、
作句年代順に整理されている、日記の抜粋から思想背景にも十分触れていることなど、
かなりの労作のようです。
個人的には、山頭火は情緒が前面に出ていて、好みではなく敬遠することも多いのですが(ごめんなさい)。
山頭火といえば、少し前にこんなニュースもありました。
春陽堂主催の種田山頭火賞に俳優の麿赤兒さん
「偉大な凡人・山頭火の名を冠した賞を文学再興の起爆剤に」
(春陽堂書店編集顧問の岡崎成美氏)
「序列や権威とは無縁に己の道を貫くことで、独自の立ち位置を築いた人をたたえる賞」
(審査員:国文学者の林望氏)
上野のムンク展に行こうかと思いながら、なかなか腰が重
(文:久坂)
「偉大な凡人」「独自の立ち位置」というキーワードが、
山頭火や自由律俳句を象徴していて、目に留まったニュースでした。
https://www.asahi.com/articles/ASL9365MBL93UCFI00L.html
上野のムンク展に行こうかと思いながら、腰が重くダラダラしていたある日、
届いた俳句同人誌「鬣」の特集は「自由律の根拠」。
林桂「井泉水は印象律と言っている」
西躰かずよし「くりかえしのそのあとで」
佐藤清美「橋を架けた人」
の三本の論考を読む。
それにしても「詩と俳句が同じ空気のなかにあった」という「層雲」創刊時のことは、なんだか隔世の感がありますね。
『句会などにおける競技性とエンターテイメント性の発達は、俳句における単一の規範を、むしろ強める方向に働くのではないか。』
自由律俳句の実作者である西躰かずよし氏はこんなことを書いていて、なかなか思うところがあります。
(文:久坂)