お知らせ
2021年2月11日木曜日
青穂39号が発行されました
2021年1月24日日曜日
河本緑石・家木松郎
自由律関連の書籍を6冊購入。
・ふらここ叢書 河本緑石作品集1~5 河本緑石研究会
・戦後俳句作家シリーズ32 家木松郎句集 海程戦後俳句の会
河本緑石は、盛岡高等農林学校時代、宮沢賢治とともに「アザリア」という文芸同人誌を発行。詩・自由律俳句を書き、大空放哉伝という尾崎放哉の評伝も残しています。鳥取の自由律俳句の礎。
家木松郎は荻原井泉水の「層雲」、のち、金子兜太の「海程」に所属。
こういう類のものは(ネット上で古本を探す場合)「amazon」にはないことが多いですね。「日本の古本屋」で見つけました。
どちらもまだ読む時間がなくて積んでいますが。いずれ句抄をこのブログに挙げたいと思います。
(文:久坂夕爾)
2021年1月11日月曜日
新年
新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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コロナ禍が収束しない中、いろいろ不便な生活を強いられている方も多いのではないでしょうか。
個人的なことなのですが、私も高齢の母と半同居生活ですので、私が県外移動すると、母へのヘルパーさんが一定期間来てくれなくなる、母の通院に付き添うと県外移動時期やら説明せねばならず面倒が増えるという現実もあり、以前は2ケ月に1回くらいで行っていた東京の仕事は断るかリモートとなりました。東京・古書街に行くという気晴らしがなくなってしまいました。生活困窮者や自殺者が増えたというニュースはもっとも心が痛みますし、長いことフリー(真っ先に仕事を切られる立場)で仕事をしてきた私には他人事ではありません。
コロナに関し、どういう句が生まれているのかは興味があるところですが、自分だったら、未知のものが生き物のからだの中に入り込んでいる(入り込んでくる)恐怖感、しかも、それが太古から続いていることなど書きたいですねえ。
*
最新号の「青穂」からコロナ関連と思われる句をあげてみます。
虚ろな目に純情マスク 伊藤風々
しゃべりたい口に聞いてくれる耳がない 久光良一
キュウリとナスとマスクをお供え 福田和宏
コロナ禍の尻取ゲーム暇つぶし 𠮷田敷江
面会禁止の張り紙受付に「頑張れ」のメモ記す 埋田貞子
僕の濃厚接触者は猫背のねこです 伊藤人美
夏の雲体温計をはさんで36.5度 小山幸子
(社会的距離)守る蛍や無常の愛 中村友乙
※社会的距離に「ソーシャルディスタンス」のルビ
だれもが不安背負いながらマスクの中で笑う 南家歌也子
コロナ談義沸騰 青い朝顔ひとつ 平岡久美子
コロナ自粛の旅気分外から入るサービスエリア ちばつゆこ
会うこと控え窓越しの暑い夏とコロナ 加藤武
コロナの言葉でテレビを切る 菅沼良行
コロナ禍で予告なしの花火の音 響く 渡辺敬子
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ある方から、コメントの書き方がわからない、という質問がありましたので、
このブログを読んでいただいている方全般にお知らせします。
①記事の下にある「0件のコメント」をクリックします
すでに他のかたのコメントがある場合は、「0件」ではなく「1件」などとなります。
②太字で「コメントを投稿」というメッセージが現れますので、
その下の枠部分にコメントを入力します
③コメントの記入者を「匿名」もしくは「名前/URL」を選択します
「名前/URL」を選択した場合、名前とご自分のサイトのURLを記入します
④枠下の「公開」をクリックします
※実際には、ブログ管理者(久坂)が公開の手続きをしたと同時にブログに公開されます。
以上です。
(文:久坂夕爾)
2020年12月27日日曜日
種田山頭火全集
春陽堂より新しい種田山頭火全集が刊行されたようです。
下記をクリックすると詳細な記事を見ることができます
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000048069.html
大滝
写真を整理していたら、こんな写真が出てきました
昨年夏、蔵王にドライブした際のもの。
そのときに作った俳句が
大滝を底に置いて去る
人の手の触れぬ場所に、滝を置いて去って行った何者か。
(自作で申し訳ないです)
(文:久坂夕爾)
2020年12月16日水曜日
twitterの記事から
twitterをやっていると、ときおり面白い記事にであうことがあります。
もともと、自分から発信することはあまり好きではないので、
たいていは他人の書いた記事やつぶやきを読むだけなのですが。
最近見かけて「お気に入り」に入れている記事を少し紹介します。興味を引くものがあるでしょうか。
詩も残している哲学者のヴェイユ。「重力と恩寵」読まなくては、と思いつつ。
インドの詩人タゴールにまつわるドキュメンタリー。来週見に行きます。
恋愛に関する記述を「男女」から同性も考慮した説明に変えようとした話題。国語辞典の編纂者であっても、「だけど『本来』の意味での恋愛っていうのは、圧倒的多数が男女だ。異性だ。」と主張する人がいるというのは、結構驚きでした。『本来』というのは歴史的に、という意味だろうか。まさか、生き物として、という意味だろうか。と少し考える。動物に同性愛があることも最近知られてきたんじゃなかったでしたっけ。人間の意識って染まりやすく変わりにくい、というおはなし。
内貴麻美/創元社さんの記事より(東千茅×吉村萬壱・人類堆肥化計画)
過度に美化された「自然」や「精神主義」に反旗を翻す内容らしく気になります。→どうしてもすぐ読みたくて電子書籍で買いました。
数年前に読んだヤンソンの短編はとても良かった。昔、英語の独学のために、ムーミン・シリーズのペーパーバッグを読んでいたことがあります。来年の公開が決まったようでこれも楽しみ。
※すべてtwitterのアカウント名および記事の内容です
twitterでは、その道の専門家のつぶやきに興味を惹かれることが多いですね。
昆虫学者、民俗学者、編集者、哲学者、人類学者、小説家、はては、
太平洋戦争当時の庶民の暮らしぶりを示す資料を蒐集している研究者だったり。
もちろん詩人や、創作者のつぶやきも。
好みに合いそうな本を見つけることも、
私にとって、twitterの大きな役割だったりします。
あと、この記事はとても考えさせられます。「普通の人」のなかに厳然と存在する選民思想について。
(文:久坂夕爾)
2020年11月22日日曜日
青穂38号よりお知らせなど
2020年11月8日日曜日
第4回尾崎放哉賞 応募締め切りが迫っています
第4回尾崎放哉賞。
いよいよ募集の締め切りが迫ってきました。
締め切りは今月末11月30日必着です。ご応募よろしくお願いします。
応募用紙は、下記サイトからダウンロードできます。
青穂38号が発行されました
青穂38号が発行されました
2020年11月1日日曜日
ハイクノミカタ
2020年10月16日金曜日
宗左近句抄
響灘 潮が満ちれば必ず発熱する
帆柱山 ゆらり夕焼け 空の沖
目を開けぬ土筆の聴いている風の青
自殺願望とは他殺願望 乱れ太鼓の大花火
わたし下地っ子 蒲公英の羽根みな毟る
重かねえ 夕顔 わたしはわたしの肉なのね
火の海のなかの竜巻き おれの死体おれから噴き出して
熊蟬(くまんぜみ) 戦わない鏡を叩き割る
明日も敗戦日 真深にかぶった夜明けず
空の青 海の青 地上に棲めぬものばかり
冷凍の鱈仔が鱈たちになるだろう日のオーロラの空
虫すべて食べられ終えてから目を閉じる
空の黒い囚人服 干葡萄
きみの朧夜に舌の尖(さき)の灯を移す
萬緑の 少年の産む大卵(おおたまご)
死んで背泳ぎ 蛙の水掻きの空の白
蛤の太腿伸す月の梅雨
骨壺のなかの炎天 灰の花
蝸牛 夢の螺旋を這っていて
大空襲 美しさとは人を光にすることでした
骨を拾った箸だから焼くほかはない
枯山水 鬼面をとれば 顔あって
蛍二匹 光として 闇として
腐って行く桜桃のなかの大満月
※下地っ子 芸者見習い 作者の従妹のこと
宗左近は詩人、俳人、美術評論家。関東大震災で、一緒に逃げた母親を眼前で死なせてしまうという壮絶な過去を持つ。「炎える母」というタイトルの詩は、この経験に基づいたもの。近藤洋太「詩の戦後」によると、死の直前の言葉として、こう書かれている。
「カミサマの馬鹿野郎。プラネットに地球なんか生みやがって、だから俺は産まれてこなきゃならなかったんだ、メイワクだっ」
これらの一行作品を、作者は、俳句以前現代詩以前(意味的には「未満・以下・劣る」ということではなく、技法的にそれらとは別のもの、と私は解釈しています。)の「中句」と呼んでいたようです。個人的にこの作風はとても参考にしています。
宗左近の名を冠した俳句の賞があったのですが、残念ながら今はありません。
おおげさな物言いかもしれませんが、文化を下支えしているのは、案外手弁当・小規模なものが多く、好きなもの残したいものは「個人」が積極的にかかわっていかないと「大衆の嗜好」の影に隠れて消えてしまうものだと分かったのは、大人になってからのことでした。
(文:久坂夕爾)
2020年10月4日日曜日
同人の句より
気になる句があれば幸いです。
コメントは的外れ・不愉快かもしれませんが(句を読んでもらうきっかけにしたいだけですので)同人の方はご勘弁を。
尾崎放哉賞募集中です
第4回尾崎放哉賞。締め切りは11月30日です。
応募は2句一組。応募用紙は、下記サイトからダウンロードできます。
第4回尾崎放哉賞
2020年9月22日火曜日
まさかジープで来るとは
日常の微細な場面の「心理的落差」を掬い取った自由律俳句。
「カキフライが無いなら来なかった」「まさかジープで来るとは」
(せきしろ、又吉直樹共著)で知られる自由律の作風は現在人気があるようで、
せきしろ氏は、こういう公募もやっているようです。
https://www.koubo.co.jp/reading/rensai/oubo/haiku/jiyuritsu42.html
軽さや、心理に絞ったことの狭さを感じてしまうからか、
消費されやすいと思ってしまうというか、
単なる「そういうことあるよね」という共感ネタになりやすいので、
私自身は特に惹かれないのですが、
場のキャッチボールは成立しやすく面白いですよね。
こういうものもある、ということで。
日常の非常に小さな場面を確実にとらえうる眼を鍛える、
という点ではいいと思います。
(文:久坂夕爾)
2020年8月30日日曜日
青穂37号よりお知らせなど