響灘 潮が満ちれば必ず発熱する
帆柱山 ゆらり夕焼け 空の沖
目を開けぬ土筆の聴いている風の青
自殺願望とは他殺願望 乱れ太鼓の大花火
わたし下地っ子 蒲公英の羽根みな毟る
重かねえ 夕顔 わたしはわたしの肉なのね
火の海のなかの竜巻き おれの死体おれから噴き出して
熊蟬(くまんぜみ) 戦わない鏡を叩き割る
明日も敗戦日 真深にかぶった夜明けず
空の青 海の青 地上に棲めぬものばかり
冷凍の鱈仔が鱈たちになるだろう日のオーロラの空
虫すべて食べられ終えてから目を閉じる
空の黒い囚人服 干葡萄
きみの朧夜に舌の尖(さき)の灯を移す
萬緑の 少年の産む大卵(おおたまご)
死んで背泳ぎ 蛙の水掻きの空の白
蛤の太腿伸す月の梅雨
骨壺のなかの炎天 灰の花
蝸牛 夢の螺旋を這っていて
大空襲 美しさとは人を光にすることでした
骨を拾った箸だから焼くほかはない
枯山水 鬼面をとれば 顔あって
蛍二匹 光として 闇として
腐って行く桜桃のなかの大満月
※下地っ子 芸者見習い 作者の従妹のこと
宗左近は詩人、俳人、美術評論家。関東大震災で、一緒に逃げた母親を眼前で死なせてしまうという壮絶な過去を持つ。「炎える母」というタイトルの詩は、この経験に基づいたもの。近藤洋太「詩の戦後」によると、死の直前の言葉として、こう書かれている。
「カミサマの馬鹿野郎。プラネットに地球なんか生みやがって、だから俺は産まれてこなきゃならなかったんだ、メイワクだっ」
これらの一行作品を、作者は、俳句以前現代詩以前(意味的には「未満・以下・劣る」ということではなく、技法的にそれらとは別のもの、と私は解釈しています。)の「中句」と呼んでいたようです。個人的にこの作風はとても参考にしています。
宗左近の名を冠した俳句の賞があったのですが、残念ながら今はありません。
おおげさな物言いかもしれませんが、文化を下支えしているのは、案外手弁当・小規模なものが多く、好きなもの残したいものは「個人」が積極的にかかわっていかないと「大衆の嗜好」の影に隠れて消えてしまうものだと分かったのは、大人になってからのことでした。
(文:久坂夕爾)
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