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2020年10月4日日曜日

同人の句より

直近の本誌から、私の興味を引いた句を。
気になる句があれば幸いです。
コメントは的外れ・不愉快かもしれませんが(句を読んでもらうきっかけにしたいだけですので)同人の方はご勘弁を。

産んだ児は蕗の葉に包み炎天の山道  渡辺敏正
 これは作者の土地の昔の風習でしょうか。子捨て(この風習は近年まであったと記憶しています)なのか、通常の子産みの場景なのか、無知な私にはわかりませんが、とてもリアルです。

風鈴の短冊どの本能を吊るそうか   田畑剛
青空敲けば菜の花ばかり       加藤邪呑
 「敲けば」が素晴らしい。「叩く」ではない。「問う」でもない。知らず知らず「音」の感覚を読者に意識させる。青空のなかに何があるか、敲いてみたけれど、中身は菜の花ばかり。鮮烈。

楽章終り歪な春の月に照らされる   後谷五十鈴
 「楽章」を人生の比喩と取ってしまうと少し通俗的かな、と。作者は本当に音楽を聴いていたのだと思います。音がやんで、ふと気づくと歪な月あかり。目覚めていたのか眠っていたのかわからなくなるようなよくある苦い混乱を思い起こしました。

ぼたん満開いつまで寝ているんだ   小山幸子
風のポピーやわな女は捨てました   高木架京
 「風の」の部分、多分作者としては必要だったのだと思います。とすると、ポピーは(「やわ」を捨てた今ではなく)「やわ」(過去)な方を象徴しているのではないか。

こっそりせめぎ合う割り算の余り   谷田越子
 ホールケーキを等分しようとした余りのことだと想像しました。

もう竹やぶの春風          井上敬雄
 「もう」がいいです。この2文字だけで作者の心情を類推するきっかけになる。「春風」は、轟音を伴った一瞬の強い風か。

カタカナ語が氾濫するやまいだれ   平岡久美子
 三十年くらい前ですが、やはり同じことは言われていました。カタカナ語(外来語のカタカナ表記)を氾濫させていたのは、当時の私よりはるか年上の大人たち。便所がトイレに、背広がスーツに、〇〇街ではなく〇〇タウンに。。。。。やまい(だと作者は感じている)は案外明治あたりからの現象でしょうか。

裏通り栓を抜かれた瓶と立っている  楽遊原
 ユーモラスな一光景。「栓を抜かれた」を回りくどいと見るか、作者の心情と重ねあわそうとするか、作者ならではの、いい感じに力の抜けた表現とみるか。

青空は逃げないのに不安定      伊坂恵美子
 「わかる」と一旦うなずいたのですが、「不安定」が漠然としていてモヤモヤする、という不満もあります。「逃げない」と「青空」を主語にしたことは面白いです。

ガード下夕陽をみがいていたまり子  久次縮酔
春の魚屋は雨の中にいる       伊藤風々
おとこは詐病し観音開きの闇を待つ  三好利幸
 「魚屋は雨の中にいる」「闇は観音開きの形をしている」、これは不思議な説得力を感じます。詐病、の沙汰を待っているおとこ。観音開きなのは、おとこの心情がそう感じさせるのでしょう。

手に十薬の臭い残し昼自宅      河野初恵
国捨てたおじさんに歯が無い     きむらけんじ
辿りついた鍵穴に受け入れられている 黒崎渓水
玉葱むきつつ女はだんだん無口になる 小山貴子

(文:久坂夕爾)

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