お知らせ

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2020年12月16日水曜日

twitterの記事から

twitterをやっていると、ときおり面白い記事にであうことがあります。

もともと、自分から発信することはあまり好きではないので、

たいていは他人の書いた記事やつぶやきを読むだけなのですが。


最近見かけて「お気に入り」に入れている記事を少し紹介します。興味を引くものがあるでしょうか。


ちくま学芸文庫の記事より(シモーヌ・ヴェイユ「工場日記」)

詩も残している哲学者のヴェイユ。「重力と恩寵」読まなくては、と思いつつ。

映画「タゴール・ソングス」さんの記事より

インドの詩人タゴールにまつわるドキュメンタリー。来週見に行きます。

藤沢美由紀/毎日新聞社さんの記事より(新明解国語辞典)

 恋愛に関する記述を「男女」から同性も考慮した説明に変えようとした話題。国語辞典の編纂者であっても、「だけど『本来』の意味での恋愛っていうのは、圧倒的多数が男女だ。異性だ。」と主張する人がいるというのは、結構驚きでした。『本来』というのは歴史的に、という意味だろうか。まさか、生き物として、という意味だろうか。と少し考える。動物に同性愛があることも最近知られてきたんじゃなかったでしたっけ。人間の意識って染まりやすく変わりにくい、というおはなし。

内貴麻美/創元社さんの記事より(東千茅×吉村萬壱・人類堆肥化計画)

過度に美化された「自然」や「精神主義」に反旗を翻す内容らしく気になります。→どうしてもすぐ読みたくて電子書籍で買いました。

Minoriさんの記事より(トーベ・ヤンソン評伝の映画)

数年前に読んだヤンソンの短編はとても良かった。昔、英語の独学のために、ムーミン・シリーズのペーパーバッグを読んでいたことがあります。来年の公開が決まったようでこれも楽しみ。


※すべてtwitterのアカウント名および記事の内容です


twitterでは、その道の専門家のつぶやきに興味を惹かれることが多いですね。

昆虫学者、民俗学者、編集者、哲学者、人類学者、小説家、はては、

太平洋戦争当時の庶民の暮らしぶりを示す資料を蒐集している研究者だったり。

もちろん詩人や、創作者のつぶやきも。

好みに合いそうな本を見つけることも、

私にとって、twitterの大きな役割だったりします。

milk♪さんの記事より

あと、この記事はとても考えさせられます。「普通の人」のなかに厳然と存在する選民思想について。


(文:久坂夕爾)


2020年11月22日日曜日

青穂38号よりお知らせなど

 









青穂本誌38号よりお知らせを転載します。

①:山頭火コーナー
  山頭火ふるさと館情報(第3回自由律俳句大会作品募集)
  まつやま山頭火倶楽部
②:奈良ドットFM 報告

  奈良近郊であれば、下記「ラジコ」にて、インターネットを通して無料で
  FMラジオを聴くことができます。
  ラジコ

③:同人新刊案内
  酒本郁也「自由律句集三 磐梯」(電子書籍)


しかし、家庭用FAXでスキャンすると影ができやすいのはなんとかならないものでしょうか。。。


(文:久坂夕爾)


2020年11月8日日曜日

第4回尾崎放哉賞 応募締め切りが迫っています

 第4回尾崎放哉賞。

いよいよ募集の締め切りが迫ってきました。

締め切りは今月末11月30日必着です。ご応募よろしくお願いします。


応募は2句一組。
応募用紙は、下記サイトからダウンロードできます。

第4回尾崎放哉賞


***

放哉の作品から、私が好きな句をひとつ。

来る船来る船に一つの島


(文:久坂夕爾)

青穂38号が発行されました

 青穂38号が発行されました












画像は、表紙(西部香代子画)、色紙(萩原羅月)、青穂抄(無一選)

目次より本号の内容
・青穂2020年度 総会書面決議結果報告
・同人・準同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(黒崎渓水選)
・青穂第一句集互選互評⑩」
・エッセイ・評論
 小山貴子 「井泉水と放哉-放哉を葬る前後ー(3)」
 きむらけんじ「きまぐれ写俳日記34」
 久坂夕爾「詩はどこにあるのか③」
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 麦秋欄、同人新刊案内、お知らせ、編集後記、山頭火コーナー
・第4回尾崎放哉賞募集案内

(文:久坂夕爾)


2020年11月1日日曜日

ハイクノミカタ


最近、俳句に関する面白いサイトが立ち上がっています。

ハイクノミカタ

日替わりの句鑑賞の執筆陣が、なかなか魅力的。

月曜日=日下野由季
火曜日=鈴木牛後
水曜日=月野ぽぽな
木曜日=橋本直
金曜日=阪西敦子
土曜日=太田うさぎ
日曜日=小津夜景


本日の小津夜景さんの鑑賞文より印象的な個所を引用。

歴史的にいって、詩歌(韻文)をつくるとは、虚構化の作業を意味する。それゆえ詩歌のイメージは映像化できないことが少なくない。たとえば石原吉郎の作品は、現実に対応しない言葉の構造を立ち上げ、風景になりそうでならないぎりぎりの世界を描いた典型だけれど、あのイメージの内圧の高さは実体を欠くからこそに他ならない。目をとじて風景とはぐれること、何ひとつ思い起こせない状態でたたずむこと、目をあけてもそこに何もないこと   これらは詩歌を読むときの、とてつもなく深い快楽でありうる

石原吉郎作品のイメージの内圧の高さを「実態を欠く」からこそであり、
「それこそが詩歌を読むときの快楽」でありうる、
と書いてあることは、賛同するかどうかはともかく注目していい言葉だと思います。
ちょうどいま、郷原宏著の評伝「岸辺のない海 石原吉郎ノート」を読んでいるところなので興味をひきました。

月野ぽぽなさんは、角川俳句賞の受賞者で、
自由律俳句誌「きやらぼく」の若手作家特集にも登場した方ですね。


「ハイクノミカタ」管理人は堀切克洋氏。
以下、「管理人について」より転載。
1983年生まれ。2011年7月「銀漢」入会、2014年同人。2014年、第6回石田波郷新人賞奨励賞、2015年、第6回北斗賞準賞、2016年、俳人協会第3回新鋭評論賞大賞、2017年、第8回北斗賞受賞、2018年、第一句集『尺蠖の道』上梓、2019年、第42回俳人協会新人賞、2020年第21回山本健吉評論賞。


(文:久坂夕爾)

2020年10月16日金曜日

宗左近句抄

 

響灘 潮が満ちれば必ず発熱する

帆柱山 ゆらり夕焼け 空の沖

目を開けぬ土筆の聴いている風の青

自殺願望とは他殺願望 乱れ太鼓の大花火

わたし下地っ子 蒲公英の羽根みな毟る

重かねえ 夕顔 わたしはわたしの肉なのね

火の海のなかの竜巻き おれの死体おれから噴き出して

熊蟬(くまんぜみ) 戦わない鏡を叩き割る

明日も敗戦日 真深にかぶった夜明けず

空の青 海の青 地上に棲めぬものばかり

冷凍の鱈仔が鱈たちになるだろう日のオーロラの空

虫すべて食べられ終えてから目を閉じる

空の黒い囚人服 干葡萄

きみの朧夜に舌の尖(さき)の灯を移す

萬緑の 少年の産む大卵(おおたまご)

死んで背泳ぎ 蛙の水掻きの空の白

蛤の太腿伸す月の梅雨

骨壺のなかの炎天 灰の花

蝸牛 夢の螺旋を這っていて

大空襲 美しさとは人を光にすることでした

骨を拾った箸だから焼くほかはない

枯山水 鬼面をとれば 顔あって

蛍二匹 光として 闇として

腐って行く桜桃のなかの大満月


※下地っ子 芸者見習い 作者の従妹のこと

宗左近は詩人、俳人、美術評論家。関東大震災で、一緒に逃げた母親を眼前で死なせてしまうという壮絶な過去を持つ。「炎える母」というタイトルの詩は、この経験に基づいたもの。近藤洋太「詩の戦後」によると、死の直前の言葉として、こう書かれている。

「カミサマの馬鹿野郎。プラネットに地球なんか生みやがって、だから俺は産まれてこなきゃならなかったんだ、メイワクだっ」

これらの一行作品を、作者は、俳句以前現代詩以前(意味的には「未満・以下・劣る」ということではなく、技法的にそれらとは別のもの、と私は解釈しています。)の「中句」と呼んでいたようです。個人的にこの作風はとても参考にしています。


宗左近の名を冠した俳句の賞があったのですが、残念ながら今はありません。

おおげさな物言いかもしれませんが、文化を下支えしているのは、案外手弁当・小規模なものが多く、好きなもの残したいものは「個人」が積極的にかかわっていかないと「大衆の嗜好」の影に隠れて消えてしまうものだと分かったのは、大人になってからのことでした。


(文:久坂夕爾)


2020年10月4日日曜日

同人の句より

直近の本誌から、私の興味を引いた句を。
気になる句があれば幸いです。
コメントは的外れ・不愉快かもしれませんが(句を読んでもらうきっかけにしたいだけですので)同人の方はご勘弁を。

産んだ児は蕗の葉に包み炎天の山道  渡辺敏正
 これは作者の土地の昔の風習でしょうか。子捨て(この風習は近年まであったと記憶しています)なのか、通常の子産みの場景なのか、無知な私にはわかりませんが、とてもリアルです。

風鈴の短冊どの本能を吊るそうか   田畑剛
青空敲けば菜の花ばかり       加藤邪呑
 「敲けば」が素晴らしい。「叩く」ではない。「問う」でもない。知らず知らず「音」の感覚を読者に意識させる。青空のなかに何があるか、敲いてみたけれど、中身は菜の花ばかり。鮮烈。

楽章終り歪な春の月に照らされる   後谷五十鈴
 「楽章」を人生の比喩と取ってしまうと少し通俗的かな、と。作者は本当に音楽を聴いていたのだと思います。音がやんで、ふと気づくと歪な月あかり。目覚めていたのか眠っていたのかわからなくなるようなよくある苦い混乱を思い起こしました。

ぼたん満開いつまで寝ているんだ   小山幸子
風のポピーやわな女は捨てました   高木架京
 「風の」の部分、多分作者としては必要だったのだと思います。とすると、ポピーは(「やわ」を捨てた今ではなく)「やわ」(過去)な方を象徴しているのではないか。

こっそりせめぎ合う割り算の余り   谷田越子
 ホールケーキを等分しようとした余りのことだと想像しました。

もう竹やぶの春風          井上敬雄
 「もう」がいいです。この2文字だけで作者の心情を類推するきっかけになる。「春風」は、轟音を伴った一瞬の強い風か。

カタカナ語が氾濫するやまいだれ   平岡久美子
 三十年くらい前ですが、やはり同じことは言われていました。カタカナ語(外来語のカタカナ表記)を氾濫させていたのは、当時の私よりはるか年上の大人たち。便所がトイレに、背広がスーツに、〇〇街ではなく〇〇タウンに。。。。。やまい(だと作者は感じている)は案外明治あたりからの現象でしょうか。

裏通り栓を抜かれた瓶と立っている  楽遊原
 ユーモラスな一光景。「栓を抜かれた」を回りくどいと見るか、作者の心情と重ねあわそうとするか、作者ならではの、いい感じに力の抜けた表現とみるか。

青空は逃げないのに不安定      伊坂恵美子
 「わかる」と一旦うなずいたのですが、「不安定」が漠然としていてモヤモヤする、という不満もあります。「逃げない」と「青空」を主語にしたことは面白いです。

ガード下夕陽をみがいていたまり子  久次縮酔
春の魚屋は雨の中にいる       伊藤風々
おとこは詐病し観音開きの闇を待つ  三好利幸
 「魚屋は雨の中にいる」「闇は観音開きの形をしている」、これは不思議な説得力を感じます。詐病、の沙汰を待っているおとこ。観音開きなのは、おとこの心情がそう感じさせるのでしょう。

手に十薬の臭い残し昼自宅      河野初恵
国捨てたおじさんに歯が無い     きむらけんじ
辿りついた鍵穴に受け入れられている 黒崎渓水
玉葱むきつつ女はだんだん無口になる 小山貴子

(文:久坂夕爾)

尾崎放哉賞募集中です

第4回尾崎放哉賞。締め切りは11月30日です。

応募は2句一組。
応募用紙は、下記サイトからダウンロードできます。

第4回尾崎放哉賞

ぜひご応募ください。

***

放哉の句から一句。

岩にはり付けた鰯がかわいて居る

私は研究者ではないので、放哉の句の特徴を正確に言い当てることはできませんが、私が放哉の句に感じること(好感が持てるところ)は、
・良い意味でのそっけなさ と
・動詞で終わることが多い
の2点。

掲句、干物にする鰯を岩に干している光景。じんわりと「かわいて」いる感覚が受け取れます。天日であれ機械であれ、今も海辺では見ることのできる光景でしょう。


(文:久坂夕爾)

2020年9月22日火曜日

まさかジープで来るとは

 

日常の微細な場面の「心理的落差」を掬い取った自由律俳句。

「カキフライが無いなら来なかった」「まさかジープで来るとは」

(せきしろ、又吉直樹共著)で知られる自由律の作風は現在人気があるようで、

せきしろ氏は、こういう公募もやっているようです。

https://www.koubo.co.jp/reading/rensai/oubo/haiku/jiyuritsu42.html


軽さや、心理に絞ったことの狭さを感じてしまうからか、

消費されやすいと思ってしまうというか、

単なる「そういうことあるよね」という共感ネタになりやすいので、

私自身は特に惹かれないのですが、

場のキャッチボールは成立しやすく面白いですよね。

こういうものもある、ということで。

日常の非常に小さな場面を確実にとらえうる眼を鍛える、

という点ではいいと思います。


(文:久坂夕爾)


2020年8月30日日曜日

青穂37号よりお知らせなど

 







青穂本誌37号よりお知らせを転載します。

上:同人新刊案内
 きやらぼくの会「年間句集二〇一九 自由律俳句きやらぼく」
 酒本郁也 「呟くさよならを君が聞きかえした」
      「いしづちたろう句集」

中:山頭火ふるさと館情報
  第三回山頭火ふるさと館自由律俳句大会

下:第95回放哉忌 於小豆島 報告

(文:久坂夕爾)


2020年8月10日月曜日

青穂37号が発行されました

 



青穂37号が発行されました
画像は、表紙、青穂抄(中村勝選)、色紙(下村槐太)

ほか、

同人作品
私の感銘句
一句鑑賞
青穂の窓(高木架京選)
「青穂第一句集互選互評⑦⑧」
句会報

エッセイ・評論に
小山貴子 「井泉水と放哉-放哉を葬る前後ー(2)」
きむらけんじ「きまぐれ写俳日記33」
奥野章「草木と遊ぶ『烏瓜』」

(文:久坂夕爾)




2020年7月18日土曜日

尾崎放哉賞募集始まっています

第4回尾崎放哉賞の募集が始まっています。

11月30日締め切りで応募は2句一組。
応募用紙は、下記サイトからダウンロードできます。

twitterでは先行してお知らせしています。
こちらでのお知らせが遅れてしまいました。

第4回尾崎放哉賞


こちらもうっかりお知らせが遅れてしまって、
中の人には申し訳ないですが、
「青穂」のtwitterが開設されています。
フォローよろしくお願いします。
ブログ更新時にもツイートされますので。

https://twitter.com/seihojiyuritsu


放哉の句から一句。
入れものが無い両手で受ける

有名なこの句の原型のような句があります。
両手をいれものにして木の実をもらう

「もらう」が「受ける」に、
1センテンスが2つのセンテンスに。

私には、
自意識をそぎ落して、行為や事実の輪郭だけ描くようにしたと思うのです。

(文:久坂夕爾)

2020年6月28日日曜日

住宅顕信句評


Webサイト「詩客 詩歌梁山泊」に住宅顕信の句評が載っていました。

俳句評 住宅顕信句集「未完成」(春陽堂)  鈴木 康太

(文:久坂夕爾)



金子兜太・田村隆一の対談

ようやく読んだ、河出書房新社「田村隆一 20世紀詩人の肖像」より
金子兜太・田村隆一の対談の中で、興味のひかれた部分を。

(田村)
ただ、俳句の持っている僕の言うほんとうの意味での即興性というのは、「私」をこえたところにあるんだから。「私」をこえた表現というものを支える俳句の知的な凄みというのかな。そういったものがもっとゆるやかな広がりを持てれば、僕はいいとおもうんですよ。
(ー略ー)
(金子)
僕は日常性を強調しているんです。……そうなんですよ、たしかに。そこを土台に自在に飛翔すれば、言霊とか、幻想とか、想像の世界とか、そういうものを迎え入れることもできる。


(田村)
言葉自体が大きな喩ですからね。言葉というのは比喩なんですよ。(略)季語はその大きな喩のなかの喩を機能させるための喩であって、要するに僕たちは暗喩をいろいろ使う、それはいろんな形で使う、詩人というものは。しかし、実はただ暗喩を使うために使っているんじゃなくて、大いなる直喩を発見したいために暗喩を使っているんだ、と言ったことがあるんです。
(ー略ー)
(金子)
それは同感だな。若い連中は言語論の入門書なんかを読んでその受け売りをやるんだな。言葉の一人歩きだけやるんですよ。


金子兜太のほうが聞き役に回ることが多い、という印象を受けましたが、
これは座談会ですので、たぶん編集の仕方によるのでしょう。
「季語は喩である」「季語は固定化されたルールではなく、社会や地域や時代の変化によって変わっていくもので、俳句の世界を広げる入口のようなもの」という部分は、やはりそうですよね、という感想。

荻原井泉水の「詩と人生 自然と自己と自由と」に、
芭蕉の「物と我と二つになりて其情誠にいたらず、私意のなす作意なり」に関しての記述がありますが、上記座談会でも「物」と「我」との関係について話題に上っていました。
厳密に本意を追うと矛盾や飛躍に見えるところもあるのですが、思っていることがフラットに出て来るところが座談会の面白さですね。

(文:久坂夕爾)

2020年6月12日金曜日

本誌からのお知らせなど





本誌36号からのお知らせを抜粋して掲載します。

上:まつやま山頭火倶楽部 会報「鉢の子」
中:同人新刊 安門優自由律俳句集「すべて時のなか」
下:南郷庵友の会「放哉」

(文:久坂夕爾)