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2022年1月29日土曜日

河本緑石句抄

風がおとすものを拾ふている

あらうみのやねやね

麥がのびる風の白猫

闇がおつかぶさる墓の火を焚く

抱く子がいない家にもどつて來た

椿さきくづれて墓石の字をほる

岩に草生ふる道が涼しくなる

山の宿は梅干しほしてきりぎりす

女も稲追うて來る釣橋

産れ來て赤坊ねむりつづける

埋立の草たける晝の波

冬の夕焼け淋しい指が生えた

土にしむ日をほりにくる

雲ひかり雨ひかり祭りの太鼓

新月に木の芽が暗い藁家

地にたぎる雨となるまで土うちやまず

夕陽さんらん野の人一人


ふらここ叢書「河本緑石作品集4 層雲」/河本緑石研究会 より抜粋


私の非力な鑑賞眼ですからあてにはなりませんが、「土」や「火」や「水」といった単純な題材が多いと感じたことと、(自身を含めた)対象を見ようとする力強い「眼」を感じる句群、という印象でした。「対象物」+動詞、+形容詞、というかたちをとるものが私の目に残ったからだと思います。


たとえばこんな詩も、河本緑石という作家の方向性を見定めるのに役に立つかもしれません。同じく俳誌「層雲」に掲載された詩です。



顔、顔

顔面がくもの巣で

赤坊がそこに巣食っている



再び草原より N(ある情感)


私をささへてくれる力が

どれも萎えてしまつた

私はすべなく、海底に沈んだなまこのやうに

水ぶくれした身體から

細い無數の足を伸べ

しきりに精子を水に浮べる

時々起る海上の波の波動が

海底の砂をおしつけて

死にかかった私の身體を

折り曲げやうとするのだ


(文:久坂夕爾)


2021年11月17日水曜日

第5回尾崎放哉賞に関するお知らせ

第5回尾崎放哉賞ですが、

締め切りが12月10日に延期となりました。

まだ間に合いますので、ぜひご応募ください。



尾崎放哉賞ホームページはこちらから

http://www.hosai-seiho.net/


2021年11月13日土曜日

青穂42号が発行されました

 







青穂42号が発行されました。
画像は、表紙(戸田勝画)、青穂抄(平岡久美子選)、色紙(荻原井泉水)

目次より本号の内容
・「青穂」2021年度 総会結果報告
・追悼 高村昌慶様
・同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(小山貴子選)
・エッセイ・評論
 記憶に残る俳人・俳句3 伊藤清雄
 私と自由律俳句3    楽遊原
 草木と遊ぶ「ハルジオン」と「ヒメジョオン」 奥野立日十
 風呂焚き        薄井啓司
 「三好利幸自由律俳句集Ⅴ」を味わう 福田 和宏
 鑑賞「新墾 自選句集」 黒崎渓水
 きむらけんじ「きまぐれ写俳日記38」
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 同人新刊案内、お知らせ、同人情報、編集後記
 第5回尾崎放哉賞募集案内

敬称略
(文:久坂夕爾)

2021年10月4日月曜日

青穂41号より同人新刊案内

 





青穂41号より同人新刊の案内

上:三好利幸 「三好利幸自由律俳句集Ⅴ」
  きやらぼくの会 「年間句集2020」

下:久坂夕爾 個人詩誌「午前」第8号


(文:久坂夕爾)


「自由律俳句と詩人の俳句」より

 

樽見博著「自由律俳句と詩人の俳句」(文芸通信)より、印象に残った部分を抜粋しておきます。

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ただ、放浪漂泊といっても、放哉は死に場所を見つけるべくあてどない放浪を強いられたのに対し、山頭火は放浪そのものを求めたというか、甘えの極致に近く楽しんでいる風がある。その差は果てしなく大きいだろう。


放哉の表現は、もっぱら自己を掘り下げようとするものであり、(略)それに対して山頭火は、(略)むしろ、自己に沈潜するよりも、自己を他者に向かって開こうとしている。

 ※「俳句」第44巻7号 坪内稔典「山頭火俳句の特色ー自己を開くリズム」引用部分


このこと(※注)は自由律俳句の成長途上の一つの屈折であり、井泉水の印象主義的象徴主義運動が東洋的な心境主義的主観主義とでも言うべきものに向かう屈折でもあった。「詩」の圏内に入りかけた自由律俳句が(二行詩という名まで進んだ俳句が)又、俳句それ自身の世界を「詩」の世界と区別し始めたのであった。

 ※伊澤元美著「現代俳句の流れ」(昭和31年河出新書)引用部分

 ※注 俳句を二行詩と捉え『国民詩』とする荻原井泉水の構想が頓挫したこと(久坂が本文前段より要約)

-----------


放哉と山頭火の違いは、私自身が何となく感じていたことを裏付けしてくれるような解釈でした。また、ゲーテに影響をうけたはずの井泉水の「層雲」が、なぜ放哉・山頭火に代表される主観主義的な流れを生んだのだろうか、何かきっかけがあったのだろうか、という、私の以前からの疑問への一つの回答例があったこと、面白く読みました。

そのほか印象に残った記事は、松尾あつゆき、大橋裸木、中塚一碧楼、横山林二、ルビ俳句のこと、詩人の作る俳句が意外にオーソドックスなものが多いことなど。


最後に、もう少しだけ引用。筆者によるまえがきより。

俳句という文学行為は「俳句とは何か」と問い続けるもので、その正解のない解答を得るために、個々が様々な試行を繰り返す必要がある。(略)俳句に関わる者は、五七五定型、季語、切れ字の効用に凭れかかることなく、考え続けなくてはいけない。自由律俳人たちの懸命な足跡はその意味を教えてくれるのである。


自由律俳句は、もともと文学志向の強い俳句形式だったわけです。

(文:久坂夕爾)


2021年9月11日土曜日

家木松郎句抄

頭にそそぐ空美しい機械となり

声小さき標本の一尾を海へはなつ

鹿点るてっぺん華麗な禁漁区

未明の杉少女指よりインキ流し

砂うごく月の柩を埋めるため

雲の市場卵売り卵降らせ

鏡の底の詩人と話す少女の首

背と背の朝鳥類の風とおす

首しまる兎に長い風林


旅行記に未婚の鳥をさがす女

吹奏楽顎紐の雪に消える兵士ら

雪を背に走れば走れば髭愛し

弟の暗い肩まで楽器沈む

月のぐるり四つ脚で走れガラスの男

靴の先美し教師ら時計嗅ぎ

掘りすすむ雪のなかまで夕日の犬

肺を嗅ぐ汽船のような白夜過ごし

ガラス玉の光線は黄なり母の背よ

蛇をころし庭掘るまぶしい他人の足

咳ひろがる葦間の太陽滑車にのせ

音楽の木立ならべる円い草原

くら闇に裸木ながし膝まで水

函のなかに風の記号の甲虫

雪虫殖やし僧ら敗走す月の村

肺のなかに枯草の点り母とびたつ

神々の額ぞ白し村境

水銀降る森の外れの料理番

風が消え村が消え一月の細身の鴉

風の国の夜行鳥獣発熱せり

からだじゅうの暗がり探せば流るる水

濃霧警報日本海で顔洗う



家木松郎略歴

(戦後俳句作家シリーズ32 家木松郎句集/海程戦後俳句の会 より抜粋)

明治28年生まれ

昭和25年 「層雲」同人

昭和36年 句集「発熱」

昭和40年 「海程」同人

昭和46年 句集「前景」

昭和52年 家木松郎句集(戦後俳句作家シリーズ32)




状況を描くのではなく、状況の核を描くことで、ときに繊細でときに清冽な絵画のような印象を与えます。


未明の杉少女指よりインキ流し

鏡の底の詩人と話す少女の首

 未明の暗闇に浮かぶインキのような杉が、まさに少女の指から流れ出す様子。

 鏡の底にいる(実体のない)「詩人」と話す少女。「顔」ではなく「首」としたリアルな実体観との対比。

 もっとも絵画的な印象を持った句です。

背と背の朝鳥類の風とおす

 背と背、という限定的な光景が、「鳥類」ということばで一気に拡がるすがすがしさがあります。

声小さき標本の一尾を海へはなつ

 魚の標本を海にかえしてあげる場面でしょうか。ちいさな魚のちいさな声は、生きていた時の海に還って、ちいさいながらすべらかな声を発するように思うのです。情感豊かな一句。

砂うごく月の柩を埋めるため
 砂浜の月明りが、波打ち際の砂とともに揺れている、と状況を言葉で解釈しようとしてしまうとなんだか陳腐になってしまいますね。砂が静かで確固たる意志を持っているように描かれているところが良いとともに、この句には「時間」が流れているように思えます。



(文:久坂夕爾)


2021年6月28日月曜日

山頭火ふるさと館

 

山口県防府市の山頭火ふるさと館

山頭火ふるさと館


第4回山頭火ふるさと館自由律俳句大会 作品募集開始しているようです。

(文:久坂夕爾)





2021年6月13日日曜日

同人の句より 少年・少女・男・女・親・子・孫

身近過ぎて難しい。ステレオタイプになりやすい、甘くなりやすい

少年・少女・男・女・親・子・孫

という題材で、最新の「青穂」から無作為に作品をひろってみました。


春に亡き子の影はなし            おおひさ悦子

 同じ作者には、私が好きな句「十二年も同じ顔の子を見て飽きない」があります。

今回は『不在』(観念)を表現していますが、「十二年~」の句は『在』(行為)を表現しており、逆に作者の(子の不在を思う)情動がありありと見えてくる様に個人的には思えるのです。ここを読んでいる方々はどう感じるでしょうか。


バス停に立っているまだ母の顔        鈴木しのぶ

男湯と女湯だけの暖簾が揺れる        楽遊原

児の言葉流れていくよ下り花         伊藤静雄

頬被りの女人形焼きを売る          伊藤風々

おとぎ話丸めながら親子の毛糸玉       いまきいれ尚夫

わきまえない女たちに日脚伸びている     平山礼子

少女るり蝶さがす青春のうなり        ゆきいちご

象の祖母象の母象のわたしアカシアの花のした 久坂夕爾

女子高生のラブレターきて水男子湧く     奥野立日十

女の体を淡く浮かせて狼となる        久次縮酔

夜が怖くて起きてきた子           伊坂恵美子

胸の底貴女の影がかしこまる         秋生ゆき

女に生まれたくなかったの鏡に春寒し     小山幸子

私の鼓動この子の鼓動合わさる布団の中    ちばつゆこ

振鈴朗朗と七五三への思いの新たなる     小池ますみ

コロナ禍で安否気遣う遠方の息子       渡辺敬子

朝焼けの消えぬまに息子の弁当盛付けて    加藤武

自らを語らず青年そこはかとわらう      幾代良枝

ランドセルにジャンパー着せて三寒四温    河野初恵

激昂する男の夢で覚めたがまた寝る      小山貴子

子と孫は遠く離れて独居の薬の数       渡辺敏正

蟹座のおばあちゃんはたぶんお人好し     南家歌也子

公園や孫の手を引き今引かる         高橋恒良

道すがら満月指して尋ねる児         西川大布団


(文:久坂夕爾)


2021年5月24日月曜日

青穂40号および放哉友の会機関紙の記事紹介

 



画像①②
 青穂40号のお知らせ記事
 ① 新刊案内 自由律俳句と詩人の俳句/樽見博 文学通信
 ② 荻原井泉水のはがきに関する記事

画像③④
 「放哉」南郷庵友の会機関紙より
 ③ 表紙および「尾崎放哉との対峙」と題された絵画展案内
 ④ 尾崎放哉賞記事

(文:久坂夕爾)

2021年2月11日木曜日

青穂39号が発行されました

 




青穂39号が発行されました。
画像は、表紙(西部香代子画)、色紙(喜谷六花)、青穂抄(早舩煙雨選)

目次より本号の内容
・新同人紹介
・同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(平山礼子選)
・青穂第一句集互選互評⑨⑪
・エッセイ・評論
 久次縮酔 樹林の釣り2
 奥野 章 草木と遊ぶ 蝋梅
 平山礼子 久光良一句集「男という孤島」鑑賞
 久坂夕爾 酒本郁也句集鑑賞
 きむらけんじ「きまぐれ写俳日記35」
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 お知らせ、同人情報、編集後記

(文:久坂夕爾)

2021年1月24日日曜日

河本緑石・家木松郎

 自由律関連の書籍を6冊購入。

・ふらここ叢書 河本緑石作品集1~5 河本緑石研究会

・戦後俳句作家シリーズ32 家木松郎句集 海程戦後俳句の会

河本緑石は、盛岡高等農林学校時代、宮沢賢治とともに「アザリア」という文芸同人誌を発行。詩・自由律俳句を書き、大空放哉伝という尾崎放哉の評伝も残しています。鳥取の自由律俳句の礎。

家木松郎は荻原井泉水の「層雲」、のち、金子兜太の「海程」に所属。


こういう類のものは(ネット上で古本を探す場合)「amazon」にはないことが多いですね。「日本の古本屋」で見つけました。

https://www.kosho.or.jp/


どちらもまだ読む時間がなくて積んでいますが。いずれ句抄をこのブログに挙げたいと思います。


(文:久坂夕爾)








2021年1月11日月曜日

新年

新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

コロナ禍が収束しない中、いろいろ不便な生活を強いられている方も多いのではないでしょうか。

個人的なことなのですが、私も高齢の母と半同居生活ですので、私が県外移動すると、母へのヘルパーさんが一定期間来てくれなくなる、母の通院に付き添うと県外移動時期やら説明せねばならず面倒が増えるという現実もあり、以前は2ケ月に1回くらいで行っていた東京の仕事は断るかリモートとなりました。東京・古書街に行くという気晴らしがなくなってしまいました。生活困窮者や自殺者が増えたというニュースはもっとも心が痛みますし、長いことフリー(真っ先に仕事を切られる立場)で仕事をしてきた私には他人事ではありません。

コロナに関し、どういう句が生まれているのかは興味があるところですが、自分だったら、未知のものが生き物のからだの中に入り込んでいる(入り込んでくる)恐怖感、しかも、それが太古から続いていることなど書きたいですねえ。

最新号の「青穂」からコロナ関連と思われる句をあげてみます。


虚ろな目に純情マスク            伊藤風々


しゃべりたい口に聞いてくれる耳がない    久光良一

キュウリとナスとマスクをお供え       福田和宏

コロナ禍の尻取ゲーム暇つぶし        𠮷田敷江

面会禁止の張り紙受付に「頑張れ」のメモ記す 埋田貞子

僕の濃厚接触者は猫背のねこです       伊藤人美

夏の雲体温計をはさんで36.5度      小山幸子

(社会的距離)守る蛍や無常の愛       中村友乙

 ※社会的距離に「ソーシャルディスタンス」のルビ

だれもが不安背負いながらマスクの中で笑う  南家歌也子

コロナ談義沸騰 青い朝顔ひとつ       平岡久美子

コロナ自粛の旅気分外から入るサービスエリア ちばつゆこ

会うこと控え窓越しの暑い夏とコロナ     加藤武

コロナの言葉でテレビを切る         菅沼良行

コロナ禍で予告なしの花火の音 響く     渡辺敬子


ある方から、コメントの書き方がわからない、という質問がありましたので、

このブログを読んでいただいている方全般にお知らせします。

①記事の下にある「0件のコメント」をクリックします

 すでに他のかたのコメントがある場合は、「0件」ではなく「1件」などとなります。

②太字で「コメントを投稿」というメッセージが現れますので、

 その下の枠部分にコメントを入力します

③コメントの記入者を「匿名」もしくは「名前/URL」を選択します

 「名前/URL」を選択した場合、名前とご自分のサイトのURLを記入します

④枠下の「公開」をクリックします

 ※実際には、ブログ管理者(久坂)が公開の手続きをしたと同時にブログに公開されます。

以上です。


(文:久坂夕爾)



2020年12月27日日曜日

種田山頭火全集

 春陽堂より新しい種田山頭火全集が刊行されたようです。


下記をクリックすると詳細な記事を見ることができます

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000048069.html




2020年11月8日日曜日

青穂38号が発行されました

 青穂38号が発行されました












画像は、表紙(西部香代子画)、色紙(萩原羅月)、青穂抄(無一選)

目次より本号の内容
・青穂2020年度 総会書面決議結果報告
・同人・準同人作品
・私の感銘句
・青穂の窓(黒崎渓水選)
・青穂第一句集互選互評⑩」
・エッセイ・評論
 小山貴子 「井泉水と放哉-放哉を葬る前後ー(3)」
 きむらけんじ「きまぐれ写俳日記34」
 久坂夕爾「詩はどこにあるのか③」
・一句鑑賞
・句会報
・そのほか
 麦秋欄、同人新刊案内、お知らせ、編集後記、山頭火コーナー
・第4回尾崎放哉賞募集案内

(文:久坂夕爾)


2020年9月22日火曜日

まさかジープで来るとは

 

日常の微細な場面の「心理的落差」を掬い取った自由律俳句。

「カキフライが無いなら来なかった」「まさかジープで来るとは」

(せきしろ、又吉直樹共著)で知られる自由律の作風は現在人気があるようで、

せきしろ氏は、こういう公募もやっているようです。

https://www.koubo.co.jp/reading/rensai/oubo/haiku/jiyuritsu42.html


軽さや、心理に絞ったことの狭さを感じてしまうからか、

消費されやすいと思ってしまうというか、

単なる「そういうことあるよね」という共感ネタになりやすいので、

私自身は特に惹かれないのですが、

場のキャッチボールは成立しやすく面白いですよね。

こういうものもある、ということで。

日常の非常に小さな場面を確実にとらえうる眼を鍛える、

という点ではいいと思います。


(文:久坂夕爾)


2020年8月30日日曜日

青穂37号よりお知らせなど

 







青穂本誌37号よりお知らせを転載します。

上:同人新刊案内
 きやらぼくの会「年間句集二〇一九 自由律俳句きやらぼく」
 酒本郁也 「呟くさよならを君が聞きかえした」
      「いしづちたろう句集」

中:山頭火ふるさと館情報
  第三回山頭火ふるさと館自由律俳句大会

下:第95回放哉忌 於小豆島 報告

(文:久坂夕爾)


2020年6月12日金曜日

本誌からのお知らせなど





本誌36号からのお知らせを抜粋して掲載します。

上:まつやま山頭火倶楽部 会報「鉢の子」
中:同人新刊 安門優自由律俳句集「すべて時のなか」
下:南郷庵友の会「放哉」

(文:久坂夕爾)


2020年3月8日日曜日

俳誌「む」復刊1号



加藤邪呑氏より俳誌「む」復刊1号(通巻51号)が届きました。
「海程」(金子兜太主宰)仙台支部の俳誌だったものが、
独立した「む」句会として復刊したもようです。


加藤氏の作品よりいくつか。

ゴッホへ大脱走するひまわり
青い無限は白鳥の落款
来世は雪の遠近法である
月山捲れば白夜
海市の空キリン突き刺さっているよ

こういう句は、イメージしたときに、自分の中で何かが立ち上がってくるかどうか、
が鍵だと思っています。
「意味」はあくまでも読者が規定するもの。
作者が読者に直接提示するものではない、という考え方には個人的に賛同します。


月山捲れば白夜

「捲れば」を、まるでトランプのカードの表裏をひっくり返すようなイメージをすると、
月山を通して、世界の巨きさと静けさを感じます。
「捲ると〇〇になる」のではなく、
あらかじめ存在するものが「捲ったことで見える」のではないかと。
「ば」は通常、
・因果(~した結果~になる)
・仮定(~するとすれば~になる)
日常会話的には、2つの用法を何気なく使い分けていますが、
ここでは後者ではないかと思う、ということです。

(文:久坂夕爾)

2020年2月22日土曜日

放哉か 山頭火か ノラ猫か?

NHK文化センター京都で、自由律俳句に関する講座が、2020年3月28日に行われます。

作家の嵐山光三郎氏が放哉・山頭火を語ります。
また、後半は青穂の小山代表と自由律俳句の選評を。

詳細は、ここをクリック

チラシも載せておきますので、
興味のある方はどうぞ。画像をクリックすると拡大します。



2019年11月24日日曜日

自由律句のひろば資料




藤田踏青氏より貴重な資料をいただきました。
「自由律句のひろば」機関紙(上)および
「現代自由律100人句集」(下)

「自由律句のひろば」は、数年前まで存在した自由律俳句の超結社的集団。
(こういうことに興味がない&人付き合いがあまりない)私にとっては、
いつの間にかなくなってしまった集団、くらいにしか
認識していませんでした。Webサイトは時折ながめたりはしていたのですが。

どんな方が現代の自由律俳句の作者として名を連ねているのか、
「現代自由律100人句集」(第Ⅲ集)(2016年発行)より挙げてみます。

もちろん、この会に参加していなかった方もたくさんいるでしょう。
ネットや地域のイベントなどで個人で活動している方、
自由律系の結社に所属することを嫌って活動している方、
短歌・自由詩とジャンルをまたいで活動している方など。
あたり前ですが、そのなかにも、たぶん優れた書き手はいる、ということを前提として。

(地域別・北から)
畠働猫
太田和孝
加藤邪呑
吉本知裕
前田和子
野田麻由可
黒瀬文子
寺田和可
小山榮康
小山智庸
白松いちろう
荒木勉
いまきいれ尚夫
黒崎渓水
棚橋麗未
中島かよ
中塚唯人
平岡久美子
伊藤完吾
田中耕司
野谷真治
泉沢英子
埋田貞子
大軒妙子
久保田奈々弥
小池ますみ
鈴木憲
鈴木和枝
田中陽
ちばつゆこ
富田彌生
中村友乙
那須田康之
松尾尚子
渡野邊寿美子
田辺雅之
宮地祥子
𠮷田敷江
吉原陽子
正木土易
秋生ゆき
小山貴子
藤田踏青
高村昌慶
幾代良枝
後谷五十鈴
田中昭雄
三好利幸
ゆきいちご
陽蔭野無一
阿部美恵子
石竹和歌子
植田鬼灯
内田麻里
小野芳乃
佐伯初枝
佐々木研信
島田茶々
清水八重子
下瀬美保子
竹内朋子
田中里美
富永鳩山
富永順子
橋村美智子
原田智美
久光良一
部屋慈音
増田壽惠子
松尾貴史
松永眞弓
松永友世志
山本節子
和崎治人
今石咲子
荻島架人
楠本尚子
重富佐代子
高木架京
中村みやこ
馬場古戸暢
檜幽可
増田眞寿子
松養榮貞
藤岡徹
徳永純二

※発行当時に物故だった方を除いています。
※敬称略

藤田踏青さん、ありがとうございました。

(文:久坂夕爾)