青穂52号が発行されました。
記憶に残る俳人・俳句14 吉田紀彦
青穂52号が発行されました。
いつも訪問ありがとうございます。
本ブログのアクセス数が、開設以来20000アクセスを超えていました。
以下にアクセスの多い記事の一覧を載せています。
・黒崎渓水さん執筆のヨルシカの記事がやはり強いです。今後もアクセスが伸びると思われます。
文学・芸術系作品/作家は、娯楽系作品に引用・転用・模倣されて一般に流布していくようなところもありますので(マンガ・文藝ストレイドッグスや、以前現代詩の一節を引用した歌詞などがあったように。アニメでも悪の華-ボードレールの詩集名が由来-という作品がありました。曽根富美子「含羞-はじらひ- わが友中原中也」も有名ですね。)、尾崎放哉や自由律俳句が広まるきっかけになると良いですね。
※文学/娯楽の区別は結構あいまいなので、便宜上だと思ってください。
・青穂第1句集がコンスタントに閲覧されているようです。多分、本誌同人の作風の幅は、放哉賞や尾崎放哉のイメージだけで考える作風の幅よりも、かなり広いのではないでしょうか。今月、第2句集が発行されましたので、近いうちに1人1句の形で掲載する予定です。
・個人作家については、飯島翠壺洞、宗左近、清水哲男、河本緑石、家木松郎の記事や句抄が。載せたい作家はまだまだいるのですが、ぼちぼちチョイスして掲載していきますので、ご期待ください。本誌からの転載記事「記憶に残る俳人・俳句」も見ていて楽しいので、こちらもよろしくお願いします。
近頃は長針と短針に足を挟まれます
緞帳ストン首は闇に陳列される
あと一塗りの空から鳥がすり抜けた
ほたる仮縫いの夜をほどく
笑っている人の顔で笑っている
耳穴から溢れる砂時計の波音
映る花にとまり蝶は鏡で飼われる
ハサミが入り薔薇は女の匂いを放つ
なみなみと注がれ舞蝶がすけてくる
井戸の底に落した影が澄んでいる
風ねむれぬ夜は放火魔と通じあい
小鳥を数え終えて密林消えた
蟻が地平線を持ちあげてゆく花野
風がくるくるむけて月がまぶしい
ガラス片の霧雨に人魚とすれちがう
桃が闇を引いて転がり落ちる
金魚ゆらゆら花のひらく匂いがする
月は何色にぬっても嘘になる
絵の具がかわくまで生きていた蝶
夜店の人魚に値札がついている
高田弄山(たかだ・ろうざん)(1956-2013)の句に接しての私の印象は、「不穏で生命力の薄い静寂」。そして、表現力がある作家性の強い作風。絵画もたしなんでいたように見えます。
句については、下記京都泉の会のブログから抄出・引用させていただきました。ありがとうございます。問題があるようでしたら、お知らせください。
この泉の会のブログには、かなりの数の自由律俳人の句抄もあり(野村朱燐洞の句抄もありました。)、ここ数年精力的に更新されていますので読みでがあります。
ぜひ、訪問してみてください。右側スレッドにリンクも貼りました。
(文:久坂夕爾)
第7回 尾崎放哉賞が決定しています。
<一般の部>
尾崎放哉大賞
月を青くして誰もいないふる里 いまきいれ尚夫
春陽堂賞
両手の団栗こぼしながら駆けてくる 宮澤 省子
優秀賞
大人びてゆく液晶のなかの教え子 明 大
墓にまっすぐ見られながら立ち去る 楽遊原
バス停に子を降ろして稲刈機は去る 田畑 剛
背中の淋しさを見られながらおいとまする 久光 良一
秋がこぼれきって葉の先 古関 聰
敢闘賞
空振りする息子をした日もあった 小石 遥也
<高校生の部>
最優秀賞
同じ世界を見るために少し猫背になる 遠藤 涼太
(埼玉県立滑川総合高等学校)
【第七回尾崎放哉賞選者】
自由律俳句結社『青穂』役員:
小山貴子、黒崎溪水、吉多紀彦、平山礼子、高木架京、平岡久美子、三好利幸
受賞、おめでとうございます。
他の入賞句については、尾崎放哉賞のホームページにてご確認ください。
(文:久坂夕爾)
自由律俳句協会主催、「第1回自由律俳句大賞」のお知らせが入ってきました。
詳しい募集要項などは、下記をご覧ください。
青穂51号が発行されました。
青穂本誌での企画記事「記憶に残る俳人・俳句」。
同人各自が紹介する、自由律俳句・俳人を転載します。
・市川一男(1901~?)
人に逢いたくない日の自分の足あたためてやる
さびしさ一つこらえては透明なうろこ一枚はやし
まっくらやみにもつれて糸がひとかたまり
・まつもとかずや(1928~?)
だまってだまって、このいしをあちらへのけるこうい
ちちはつねに、おおきななみだをためている
不況がきびしく、下むいてとぐはさみのむこうに家族
・尾崎善七(1907~1938)
まずしさ軒に夕月一つ火をたく
月の明るさ児を負うてゆく
やなぎゆれる冬あおぞらの子を抱いて纏足のおんな
人間が人間と血を流し今日も空がすっきり澄んでいる
私が戦死した夢であったりして暁の星一つまたたく
・渡野邉朴愁(わたのべぼくしゅう)(1927~2016)
裸いとし人間なんとたくさんの傷あとを持ち
尾骶骨にいつもあるおもい昼月欠けて浮く
地球剥ぐと宙へひらひらいちまいの四季
寒さ音にして湖心さす舟
枯野の嗅覚火にすると春が匂う
・塩地キミヱ(1936~2017)
はじめて踏んだお百度の足を洗う
生きる意味求めて七十九歳暑気中り
丁寧に生きたしるしの固いペンだこ
嫌われてもいい清廉でいたい女の秒針
・佐瀬茶楽(1905~1989)
畑は菜の花にうもれる満月
と、ゆらぎ海は黄金の朝暾
婆がわらうつ音のするしぐれ
おもてへでてうちわの軽さ持っている
子が子をつれてくるお正月
・岡野宵火(おかのしょうか)(1916~1951)
バス満員で下ってしまふと秋の高原を残ってゐる人たち
逢ふてさえをれば、の二人で秋が散って散って
何かひっかかる句(人)、惹かれる句(人)があれば幸いです。
いい企画ですよね。私が注目したのは渡野邉朴愁。
(文:久坂夕爾)
第七回尾崎放哉賞の応募締切が11月30日に迫っています。
是非ご応募ください。
※ご注意
ホームページが、第六回までのものと変更になっていますので、ご注意ください。
ブックマークなどに入れている方は、お手数ですが、新たにお気に入り登録することをお勧めします。
また、今回高校生の方の応募方法に変更があります。
※メールでのエクセル(横書き)添付必須
詳しくは、上記ホームページで確認をお願いします。
◆過去の尾崎放哉賞大賞受賞作品◆
月の匂いの石に坐る 藤田 踏青
ひまわり咲いて疎遠の鍵を外す 増田 眞寿子
ネギ切る音がまっすぐな雨になる 井上 知子
だんだん空が大きくなる坂を上る 遠藤 多満
蝉時雨浴びて秘密基地の入り口 砂狐
母の内にあるダムの静けさ 田中 佳
(文:久坂夕爾)
青穂50号が発行されました。
第七回尾崎放哉賞の募集受付中です。
※ご注意
ホームページが、第六回までのものと変更になっていますので、ご注意ください。
ブックマークなどに入れている方は、お手数ですが、ページの差し替えをお願いします。
また、今回高校生の方の応募方法に変更があります。
上記ホームページで確認をお願いします。
(文:久坂夕爾)
青穂49号の同人の句よりいくつか紹介します。
例によって、私の句評は参考程度に。
蝉しぐれ唖の両手目まぐるし 楽遊原
「蝉しぐれ」と、続く「唖(唖者)」は、初見ではかなりの飛躍に思えるかもしれませんが、案外近いところにいます。というのは、「音」「光」は、それが元々ない場面(静寂、闇など)だと目立つのですが、それだけが過剰に存在すると「音」も「光」も知覚できなくなる。芭蕉の句の、蝉しぐれを「しずけさ」と感じる所以のように。発語が困難な方(しかも多分聴覚は正常な方)の表面上の無音と、手話をする両手(つまりその人の思考や感情)の切迫感を対照的に表現しています。個人的には、「し」で終わると文語調になって、両手の躍動感が殺されてしまったのではないか、自由律だからもっと語尾も自由に口語らしくしたほうが、と少し気になりましたが。
花首切られ俄かに人の華となる 一の橋世京
「俄かに」と接続されると、首を切られた瞬間が読み手の脳裏に残ったままの状態で、次の節(人の華)の意味を拾うことになります。切り花が人の心を楽しませる、という、それだけの意味を伝えるだけでしたら、一般論だけで作者自身がいない凡庸な句になってしまうのですが、そこに、「(花屋の手によって)首を切る・切られる」という行為の残像を見せたことで面白い作品になったと思います。
さくらさくら隠した鬼がでてきて騒ぐ 高木架京
「隠れていた」ではなく、「隠した」。この句にほのかに「批評」(自分に向けてなのか他者に向けてなのかはわかりません)を感じるのは、「隠した」のは、「鬼」とはいったい誰だろう、と考えさせられる部分があるからでしょうか。さくらの花かげからぞろぞろ鬼がでてきて、そこには本当は鬼がいるのだと不意に気付いてしまう恐ろしさ。
小手毬転がってゆく闇の中 小山貴子
小手毬の花の様子をうまく捉えた句。闇に転がすことで、自分の預かり知らないところで何かが連綿と続いているという、えもいわれぬ感覚を呼び覚まします。
あした着てゆく喪服ひろげて欠伸 伊藤人美
人にはいろいろな感情がありますから、『喪服』という題材=『悲しみ・悼み』とは限らず、おそらく、さほど関係の深くない人の葬儀前日の、もしくは葬儀続きで疲弊していて、あまり積極的には行く気になれない心中を捉えています。ありのままの気取らない日常を捉えていて、俳句は「雑」(あらゆる瞬間)の詩でもあります。捉えどころがいい。
妻をほめるふわり海月が寄ってくる 奥野立日十
つけ睫毛ケースに入れて故郷へ帰った きむらけんじ
菜の花は海に溺れる無限階段 加藤邪呑
(文:久坂夕爾)
たまに絵本を買います。
「あおのじかん」イザベル・シムレール文/絵 石津ちひろ訳 岩波書店
説教臭い・道徳本のような絵本は嫌いなのですが(笑)、こういう絵本は大好物です。
日暮れから夜にかけての、さまざまな「あお」色の生き物たちの物語。
世界を見つめる優しい「目」がここにはあります。
裏表紙には、いろいろな「あお」いろが並ぶ。
こなゆきいろ、マシュマロいろ、ウサギのしっぽいろ、あかちゃんのぼうしのいろ、みずたまりいろ、リボンのいろ、ゆめのいろ、ふじいろ、おはじきのいろ、みずぎのいろ、うんどうぐつのいろ、くもりぞらのいろ、マフラーのいろ、うんどうかいのそらのいろ、カモのはねいろ、ラベンダーいろ、クジャクのはねいろ、はればれとしたこころのいろ、るりいろ、にじをまぜたいろ、たいせつなボタンのいろ、インクいろ、ぶどういろ、まほうのいしのいろ、ベレーぼうのいろ、りんどういろ、はかまのいろ、あいいろ、そらとぶえんばんのいろ、うちゅうのいろ、ふかいうみのいろ、まよなかのそらのいろ。
(本文から)
おひさまが しずみ
よるが やってくるまでの ひととき
あたりは あおい いろに そまる
━━━それが あおの じかん
~~~~~~~~~(略)~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふかみを おびた あおい ベールに おおわれて
シロナガスクジラが ほわーっと おおきな しんこきゅう
~~~~~~~~~(略)~~~~~~~~~~~~~~~~~~
すべての あおい いきものたちを
よるの やみが そっと やさしく つつみこむ
(文:久坂夕爾)
青穂49号が発行されました。
あらためて、の紹介ですが、「青穂」ではTwitter(ツイッター)もやってます。
そのTwitterにて、ならドットFMの「俳句で漫歩」コーナーから転載する形で、自由律俳人を紹介する記事を始めました。
「俳句で漫歩」は、青穂の小山代表が、自由律俳句に馴染みのない方でも親しみやすい句を紹介・説明するコーナーです。
最近Twitterで紹介されたのは以下の俳人。
・荻原桂子
・滝井折柴
・安斎桜磈子(あんざい おうかいし)
・横山林二
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(文:久坂夕爾)