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2023年9月11日月曜日

同人の句より(青穂49号)

青穂49号の同人の句よりいくつか紹介します。

例によって、私の句評は参考程度に。


蝉しぐれ唖の両手目まぐるし        楽遊原

 「蝉しぐれ」と、続く「唖(唖者)」は、初見ではかなりの飛躍に思えるかもしれませんが、案外近いところにいます。というのは、「音」「光」は、それが元々ない場面(静寂、闇など)だと目立つのですが、それだけが過剰に存在すると「音」も「光」も知覚できなくなる。芭蕉の句の、蝉しぐれを「しずけさ」と感じる所以のように。発語が困難な方(しかも多分聴覚は正常な方)の表面上の無音と、手話をする両手(つまりその人の思考や感情)の切迫感を対照的に表現しています。個人的には、「し」で終わると文語調になって、両手の躍動感が殺されてしまったのではないか、自由律だからもっと語尾も自由に口語らしくしたほうが、と少し気になりましたが。

花首切られ俄かに人の華となる       一の橋世京

 「俄かに」と接続されると、首を切られた瞬間が読み手の脳裏に残ったままの状態で、次の節(人の華)の意味を拾うことになります。切り花が人の心を楽しませる、という、それだけの意味を伝えるだけでしたら、一般論だけで作者自身がいない凡庸な句になってしまうのですが、そこに、「(花屋の手によって)首を切る・切られる」という行為の残像を見せたことで面白い作品になったと思います。

さくらさくら隠した鬼がでてきて騒ぐ    高木架京

 「隠れていた」ではなく、「隠した」。この句にほのかに「批評」(自分に向けてなのか他者に向けてなのかはわかりません)を感じるのは、「隠した」のは、「鬼」とはいったい誰だろう、と考えさせられる部分があるからでしょうか。さくらの花かげからぞろぞろ鬼がでてきて、そこには本当は鬼がいるのだと不意に気付いてしまう恐ろしさ。

小手毬転がってゆく闇の中         小山貴子

 小手毬の花の様子をうまく捉えた句。闇に転がすことで、自分の預かり知らないところで何かが連綿と続いているという、えもいわれぬ感覚を呼び覚まします。

あした着てゆく喪服ひろげて欠伸     伊藤人美

 人にはいろいろな感情がありますから、『喪服』という題材=『悲しみ・悼み』とは限らず、おそらく、さほど関係の深くない人の葬儀前日の、もしくは葬儀続きで疲弊していて、あまり積極的には行く気になれない心中を捉えています。ありのままの気取らない日常を捉えていて、俳句は「雑」(あらゆる瞬間)の詩でもあります。捉えどころがいい。


妻をほめるふわり海月が寄ってくる    奥野立日十

つけ睫毛ケースに入れて故郷へ帰った   きむらけんじ

菜の花は海に溺れる無限階段       加藤邪呑




(文:久坂夕爾)


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