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2020年2月8日土曜日

山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)より

校注 浅野建二


九 こなた思へば千里も一里 逢はず戻れば一里が千里

相愛する男女の恋情を訴えたもの。元来、『李白詩集』巻六や、蘇東坡の「近ク別レテ容(かたち)ヲ改メズ、遠ク別レテ涕(なみだ)胸ヲ霑(うるお)ス、咫尺(しせき)相見ザレバ実ニ千里ト同ジ」の詩情に関連を有するもので、「禅林句集」や「天草版金句集」「日葡辞書」などにも散見する「咫尺千里」という成句が一般に流布するうちに、庶民的な恋愛歌謡に化したものと思われる。中世・近世の諸歌謡から現代歌謡に至るまで、きわめて累計歌の多い一首。

四九 蝶よ胡蝶よ菜の葉にとまれ とまりゃ名がたつ浮名たつ

上句は江戸初期の流行小歌か。西山宗因の句に「世の中よ蝶々とまれかくもあれ」。また明治「小学唱歌集」の「蝶々蝶々 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽いたら 桜にとまれ」は、幕末・明治期の国学者、野村秋足(あきたり)の作と伝う。「止まる」「泊る」掛詞で、「とまりゃ」は「一夜共に寝ると」の意。上句と下句の掛け合い。

五一 君は八千代にいはふね神の あらぬかぎりは朽ちもせん

七八 こなた百までわしゃ九十九まで 髪に白髪の生ゆるまで

一三七 勤めしょうとも子守はいやよ お主(しゅ)にゃ叱られ子にゃせがまれて 間に無き名を立てらるる

種彦本、「志摩」五首の内の最後に掲げる。前出の一三三番(伊勢)に同じく七七七七・七五形で各地に多い子守娘のつらさをのべたもの。「無き名」は無実の評判。いわゆる「子守くどき」の一種。例えば岐阜地方の子守唄「千両くれても守奉公いやじゃ、親にゃ叱られ子にせめられて、人に楽じゃと思われて、何が楽じゃな夜昼追んで、朝は七つ(午前四時)に起こされて」、三重県員弁(いなべ)郡子守唄「お主に叱られ、子に責められて、どこで立つとやら、わしが身は」など。

一六三 都まさりの浅草上野 花の春風音冴える

一首は。京都の賑わいにもまさる江戸の浅草や上野の花見風景。そよぐ春風の音まで澄み切った感じという。芭蕉の名句「花の雲鐘は上野か浅草か」の発想を踏まえた、江戸の新民謡調ともいうべきか。


人情、リズム、機知の勝った言葉遊び、世俗的教訓、祝い唄。
(九)のように、言葉が独り歩きして形骸化してしまったようなものから、(一三七)のような、非常にストレートで逆に新鮮に見える心情まで。

私などは、現代の流行歌、ポピュラーソングと基本的に変わらない印象を受けるのですが、どうでしょうか。
スマップの歌に、「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」という歌詞がありましたが、ふと思い浮かべ、ここに並べても違和感がないな、と思いました。現代風で小綺麗ですが、機知が勝っているところなどは。


そのほか、いくつか興味をひかれたことを。

本書は、自序にこう記されているようです。
(前略)世の風俗として、花に啼く鶯、水に住む蛙の声いずれか哥(うた)を詠まざらんと古事に有るよしして、山家鳥虫歌(さんかちょうちゅうか)と名付けて、(後略)
。。。。どこかで読んだことのある文章です。
もうひとつ。
集中、一番多いのが、七七七五形(いわゆる小唄調)で78%。次が七五七五形(今様?私には不勉強でよくわかりませんが)。次が、五七五七五形。
七音が先行していることが多いのは、やはりというか、面白い事実です。

(文:久坂夕爾)


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