高校生の頃、ふと思ったことがあります。教科書は何故政治史中心なのかと。「〇〇幕府滅亡」などと書いてはあるが、人が滅んだわけではない。人々の暮らしの軸はそれほど変わらなかったのではないかと。そんなふうに思った方、いないでしょうか。きっといると思うのですよね。政体の変化などよりも、貨幣の発生とその流通、土地所有の変遷、暮らしを支える道具(交通機関などのインフラも含む)の変化。それひとつひとつを中心にまとめられていたっていいのに、と。そのほうがより人間の歴史なのだと。
青穂同人の黒崎渓水(健一)さんから贈呈されたこの書籍を受け取ってすぐ、思い出したのは上記のようなことでした。
この著作は、佐賀県有田町の小溝という地域で出土された膨大な磁器片を収集・分類・分析した学術的な著作です。ですので、細かい分析などは素人の私などにはわからない部分も多いのですが、こういう学術書を斜め読みする面白みは、地理的にも時間的にもあらゆる文化の断片は有機的につながっているのだと腑に落ちること、ですね。磁器に描かれた絵やデザインの出自(手本)に関する記述はとても興味深く読みました。
この、「有機的につながっている」という視線を通すと、世界の様相(ことばの様相でもよいのですが)は、世間的な言質とは全く異なってくる。
私が定期購読している冊子のひとつに、岩波書店の「図書」があります。この「図書」も、専門家(考古学者、人類学者、映像作家、陶芸家、文学研究者などなど)による著述が並んでいて、興味深く読んでおります。
政体というもの、つまり教科書のようなもの、は、いわば町のメインストリートのようなもので、華やかでわかりやすいのですが、人間の実態というのはそこにはやっぱりないんですよね。一本道をはずれた地味な小道のなかに、目をしかめるような激しさや醜さやいじましさややさしさや凍り付くような生活の匂いがある。そんなことも思いました。
あらためて、黒崎さん、著書をありがとうございました。
(文:久坂夕爾)
※約半年ぶりのブログ更新となってしまいました。
このブログは、私・久坂の個人的事情により、あと1回で休止とさせていただきます。最後の1回は、自由律俳句(俳句)を始めたきっかけや、今、自由律俳句(俳句)に思うことなどを忌憚なく書こうと思っています。なるべく早く掲載しようと思いますが。。


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