青穂48号が発行されました。
お知らせ
2023年5月5日金曜日
青穂48号が発行されました。
2023年4月29日土曜日
ドライブ・マイ・カー
先月の目の手術による不快感・不調がようやくおさまりつつあります。
ひと頃話題になった映画「ドライブ・マイ・カー」(監督:濱口竜介、脚本:大江崇允)をamazonプライムでようやく見る。いい映画でした。
本筋は妻を失った男の物語なのですが、そこに、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」、亡き妻がベッドでつぶやいた物語(前世がヤツメウナギの少女のエピソード)が絡んできます。異なる物語が平行するさまは、ああやっぱりこれは村上春樹だ、と思わせました。
特に車の中の描写がよかった。専属のドライバーが後部座席の主人公を目だけで追う姿、夫である自分でさえ知らない、妻の物語の続きを語る青年の顔、たばこの灰を飛ばすためにサンルーフにのばした二つの手。
実は、「ワーニャ叔父さん」は、若かったころの私にはとてもわかりにくい話だったのです。なぜワーニャ叔父さんはピストルなんて持ち出して騒ぎ、あまつさえ自殺まで考えたのだろう、そこがよくわからず、登場人物の心情にうまくついていくことができずに投げ出した記憶があります。映画のあと再度読み直したのですが、今度は心情を理解できたと思います。昔わからなかったものを再読したとき、私はいったい今まで何を読んでいたのだろう、と、愕然とすることは時折ありますよね。最近では井筒俊彦の「意識と本質」など。
チェーホフを「余白の多い作家」とどこかの評論家が言っていたのを思い起こします。そして、村上春樹も(特に短編は)余白の多い、悪く言えばほのめかしの多い作家です。(「象の消滅」なんて面白くて好きですけどね。)
ところで、「ドライブ・マイ・カー」の3つの物語のなかで、現実の不可解さ・やるせなさを強烈に私に伝えてきたのは、完全にフィクションであるヤツメウナギの少女のエピソードでした。また「ドライブ・マイ・カー」はビートルズの曲名だと思いますが、同じくビートルズの曲名が題名になっているかつ映画にもなったものに「君の鳥はうたえる」(and your bird can sing)という小説があります。佐藤泰志。こういう小説が書きたかったと思わせるほど「海炭市叙景」はいい短編でした。
(文:久坂夕爾)
2023年3月25日土曜日
2023年3月4日土曜日
第6回尾崎放哉賞決定
第6回尾崎放哉賞が発表されました。
<一般の部>
◆大賞
母の内にあるダムの静けさ 田中 佳
◆春陽堂賞
和音のように揺れあって光は春になる 久我 恒子
<高校生の部>
◆最優秀賞
フラスコの中ぎゅうぎゅうの都会 信田 龍之介
そのほかの入選句は、尾崎放哉賞(第1~6回) をご覧ください。
!第7回より、放哉賞告知サイトおよび、応募要項などの変更があります!
(文:久坂夕爾)
2023年2月19日日曜日
2023年1月22日日曜日
2022年12月23日金曜日
青穂46号よりお知らせなど
2022年12月14日水曜日
2022年11月27日日曜日
2022年11月12日土曜日
青穂46号が発行されました
2022年10月30日日曜日
第6回尾崎放哉賞 締切(11月30日)まであと1か月を切りました。メールでの応募もできます。
第6回尾崎放哉賞の締切は11月30日。
締切がせまってきました。
クリックすると、尾崎放哉賞のページにジャンプしますので、
応募要項など、確認してみてください。
メールでの投句もできます。
是非、ご応募ください。
(文:久坂夕爾)
2022年10月10日月曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(4)
またまた、ヨルシカの続きです。
前回、井伏鱒二や正岡子規などに言及したヨルシカのインタビュー記事を引用しましたが、奇特な方がいるもので、ヨルシカ関連で作家を知った若者向けに、原典を紹介するというまとめ記事のサイトがありました。
何と素晴らしいことでしょう。
入口がバンドの楽曲だけど、「何だろう」と思って、インスパイアした作家の原典に行き着く。そしてそのうちの何人かは、その作家の原典を手にすると思います。そしてそしてそのうちのまた何人かは、放哉や山頭火の著作を手にするはずです。新しい時代の「辿り着き方」だと思います。そしてそのまた何人かが実際、句を作ってくれると、とてもとてもありがたいです。
もし、もしもですが、「ヨルシカ 尾崎放哉」でここ(青穂)に辿り着いた方、必ずご一報ください。
奥深い自由律俳句の世界へとご案内いたします。
放哉研究の第一人者であるうち(青穂)の代表も「若い人々に放哉が支持されて歌詞に盛り込まれるなんて、放哉本人もびっくりだと思います」と言っていました。
以下引用
音楽をきっかけに、文学に興味を持った人へ
(文:黒崎渓水)
2022年9月23日金曜日
青穂45号よりお知らせなど
2022年9月11日日曜日
青穂大会・尾崎放哉賞授賞式でのこと「尾崎放哉とヨルシカ」(3)
ヨルシカと尾崎放哉の句の続きです。
ヨルシカ(n-buna)はインタビューで次のように奥深いことも言ってます。
音声合成ソフトで楽曲(ボカロ曲)を制作するという現代的な面と、しかし一方でその歌詞の基本潮流はバリバリの王道近現代文学であるという二物衝突が面白いです。
放哉に加え、山頭火もリスペクトしているとのことです。
(以下インタビュー記事から引用)
―
先ほどオスカー・ワイルドに大きな影響を受けたという話をしていましたが、それ以外にも、n-bunaさんが影響を受けた、自分の創作のルーツになっていると感じる人はどんな人があげられますか?
n-buna それはもう、沢山いますね。音楽的なところで言えば、僕はブルースとか、ギターヒーローのようなギタリストが好きなんです。ジョニー・ウィンター、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ラリー・カールトンのような人達が好きだし、影響を受けていると思います。映画だったら、クリストファー・ノーランやデビット・フィンチャー、あとはヒッチコックが好きで影響を受けています。あと、僕は近代歌人が好きなんです。名前を挙げるならば、正岡子規、与謝蕪村、種田山頭火の俳句や短歌にはすごく影響を受けています。作品の中でもいろんな箇所でオマージュしていますね。
―作品の中でオマージュしている、というと?
n-buna 「雨とカプチーノ」の詩には、正岡子規の「水草の 花の白さよ 宵の雨」という歌や、井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」という言葉へのオマージュが入っています。あとは、物語の骨格にも井伏鱒二の「山椒魚」からの影響があります。「山椒魚」は簡単に言えば、どんどん自分の体が肥大していってそれによって岩屋から出られなくなった山椒魚が、ある日迷い込んできた蛙を閉じ込めてしまう話です。『エルマ』では、エルマ自身の
中で虚無感や焦燥感がどんどん肥大していく。エイミーの書く詩や文章、曲調やメロディー から、一人称までも真似して、エイミーになろうとする。ここでいう山椒魚はエルマです。岩屋は音楽であり、エイミーの残した作品であり、エルマの生き方そのものです。『山椒魚』を僕なりの解釈で噛み砕いて隠喩にしたものが、今作の骨組みであり土台です。
―初回限定盤【エルマが書いた日記帳仕様】の「日記帳」の中には松尾芭蕉と与謝蕪村の名前も出てきます。この作品には二人の関係もなぞらえられている印象もありますが。
n-buna そうですね。僕は与謝蕪村と松尾芭蕉の関係というものが好きで。与謝蕪村は、松尾芭蕉が残した作品に影響を受けて、芭蕉が辿った道をなぞるように日本中を旅している。それは本当に美しい芸術の模倣の仕方だと思うんです。それこそ、オスカー・ワイルドの言葉が、そのままこの頃の日本でも行われているんですよ。ヨルシカでエイミーとエルマの物語を作るにあたっても、そういう構造を描きたかったというのがあります。『山椒魚』も与謝蕪村の話もそうですけど、結局、僕はそのオスカー・ワイルドの「人生は芸術を模倣する」という言葉をヨルシカで表現したかった、そこに尽きるんですよね。
―「雨晴るる」についてはどうでしょうか?
n-buna 「雨晴るる」は「六月は雨上がりの街を描く」の対になっています。「六月は雨上がりの街を描く」は雨上がりの曲じゃなくて、雨上がりの街を描きたいということをエイミーが書いている曲。そして、実際に、雨が上がって晴れた六月の街の曲をエルマが書いた曲が「雨晴るる」です。これは山頭火の句から題を取っています。山頭火は「山は街は梅雨 晴るる海のささ濁り」という歌を旅の途中で詠んでいるんですが、そこからとって「雨晴るる」というタイトルにしました。そのことによって山頭火へのリスペクトを示しています。
(続く)
インタビュー記事は以下のサイトより
ヨルシカ 2nd Full Album「エルマ」オフィシャルインタビュー
(文:黒崎渓水)
2022年8月19日金曜日
青穂45号が発行されました