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2025年4月28日月曜日

最近のネット記事から

最近のネットの記事から、目に留まったものを紹介。


病気が進んでかなり痩せてきた晩年の放哉の句に、こういう句がありました。

肉がやせてくる太い骨である

骨ばったからだの「実感」、つまり「死」に近い「実感」としては、やはり骨は「太い」のでしょう。(これを頭で考えて「痩せた状態」を句にしようとすると「細い」などと書いてしまうところ。)そして、亡くなった人がこう書いたものを生きている私たちが見つけると、この「太さ」は、死者の「生」そのもののように思えるのは皮肉なことです。


著者の頭木 弘樹氏はカフカの著作をいくつか出されています。巻末には俳人九堂夜想氏との対談もあるようで、カフカのフィクションの使い方が好きな私にはなかなか興味を惹きます。ちなみに、カフカが俳句を書いているわけではなく、短詩・短文・短いアフォリズム文などを(カフカはこうした文章が多い)集めた書籍のようです。
頭木 弘樹編/中央公論新社


小森裕之という方のブログ。「自由律俳句誌きゃらぼく」の代表で「青穂」役員でもある三好利幸氏との出会いやそれをきっかけにした句作活動などが綴られています。私のようにマイペースで怠け者の創作者からすると、まぶしいですねえ。


最近は五七三の韻律で俳句を書いておられるマブソン青眼氏。この韻律のことを、氏はこう書いている。
 ヨーロッパ近代文学の詩歌は同じ長さの詩句(アレクサンドランなど)を重ね、一神教ならではの直線的な時間意識を表現する。五七五は仏教ならではの周期的な時間意識を表現する。それなら、五七三はやはり螺旋、アニミズムの時間意識であろう。
 本稿の前半でふれたオントロジー論を当てはめて言えば、対等な詩句の西洋長詩はもちろんナチュラリズムの世界観であり、五七五は万物の内面と外面をカテゴリー化するアナロジスム(題詠、有季定型のカテゴリー)、あるいはもっと自由な傾倒の「二重写し」を詠うアニミズム俳句の世界観が見られる。後者には本来、左右非対称の螺旋型の韻律のほうが合うのでは、と私は思う。

五七三の韻律が「螺旋型」なのかどうか、私の腑に落ちるには時間を要するのですが。。ただ、五七五の韻律はまるで柴犬のしっぽのようにくるんと元に戻ってしまう感覚を覚えることはあり、自由律のなかに五七五の韻律があると物足りなさを覚えることはありますね。この表現内容だったら、もっと口語の語尾に特有の、飛んだり跳ねたり黙り込んだりするニュアンスを生かしてもいいのではないか、最後を五文字で終わらせる必要はないのではないか、と。

万の春瞬きもせず土偶
土器の腰抱けば吹雪の熱さ
2024年句集「縄文大河」(本阿弥書店)


(文:久坂夕爾)